キリストの実物教訓

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感化

キリストの一生は、どこまでも限りなく感化を及ぼした。この感化は、キリストを神と全人類家族とに結びつけた。神は、キリストを通して、人間に感化力を与えておられるから、人は自分だけの生活をすることができない。わたしたち個人個人は、神の総合体の1つとして、同胞と結ばれていて、お互いに義務づけられている。わたしたちの幸福は、他の人にも関係があるものであるから、だれ1人として、同胞から独立することはできない。各自が、自分は他の人の幸福のために必要であることを感じ、他人の幸福の増進のために努力することを、神は望んでおられる。 COL 1318.4

人はだれでも他に感化を及ぼすものである。信仰、勇気、希望などの生き生きとした愛の香りを放つものもあれば、あるいは、不平とわがままのために、重苦しく、冷たく憂うつで、心の中にひそむ罪の毒気を放っているものもある。わたしたちは、だれでも、このように自分の周りに、一種の雰囲気を持っていて、意識的に、または、無意識に、接する人々に感化を及ぼしているのである。 COL 1318.5

これは、わたしたちの避けることのできない責任である。わたしたちの言葉、行為、服装、態度、あるいは、顔の表情でさえも、感化力を持っている。このように して及ぼされた感化によって、相手がどれほどよくなるか、または、どれほど悪くなっていくか、だれにもわからない。このような刺激はすべて、必ず収穫をもたらす種である。それは、人類世界の長いできごとの連鎖の1つの輪であって、それが、どこまで続いているのかわからない。 COL 1318.6

もしわたしたちが、自分たちの模範によって、人々の心の中によい原則を植えつけるのを助長したとすれば、彼らに善を行う力を与えることになる。彼らはまた彼らで、同じ感化を他の人々に与え、その人々はまた他の人々へと感化を及ぼしていく。こうして、わたしたちが、無意識のうちに及ぼした感化によって、幾千もの人々が祝福を受けるようになる。 COL 1319.1

湖水に小石を投げると、波が生じて、次第に広がってついには岸にまで達する。わたしたちの感化もそれと同じで、わたしたちの知識と支配の限界を越えて、祝福かあるいはのろいを与えている。 COL 1319.2

品性は力である。真実で無我の信心深い生活の無言の証しは、どんな人をも感化しないではおかない力を持っている。わたしたちの生活の中に、キリストの品性をあらわすことによって、わたしたちは、救霊の働きをキリストと共にするのである。わたしたちが、キリストと協力できるのは、わたしたちの生活に、キリストの品性をあらわすことによってのみである。そして感化の範囲が広ければ広いほど、それだけ、善をなす範囲も広い。神に仕えるという者が、その日常生活において、律法の原則を実行して、キリストの模範に従う時、すなわち、何をしても、その行為によって、彼らが神を何ものよりも愛し、隣人を自分のように愛していることを示す時に、教会は、世界を動かす力をもつようになるのである。 COL 1319.3

しかし、感化は同様の力をもって、悪にも誘うものであることを忘れてはならない。自分の魂を失うことは、恐ろしいことである。けれども他の魂を滅びにおとしいれることは、さらに恐ろしいことである。わたしたちの感化が、死から死に至らせる香りになることは、恐ろしいことであるが、それは、可能である。キリストと共に集めているといいながら、かえってキリストから散らしている者が多い。教会が弱いのはこのためである。平気で批評非難をする者が多い。邪推、しっと、不満の精神などを口にすることによって、彼らは、サタンの配下となる。彼らが自分の行為に気づく前に、サタンは、彼らを用いて目的を達している。すでに悪い印象は与えられ、暗い影は投げられて、サタンの矢は、目標に当たったのである。こうして、キリストを受け入れたはずの人々が、疑惑と不信と無神思想をもつに至った。一方、サタンの側で働いた人々は、彼らの感化によって懐疑主義におちいり、神の譴責と懇願に対して心をかたくなにしてしまった人々を満足げにながめる。彼らは、自分たちを、その人々と比較して、自分たちは、徳もあれば、正しくもあるとうぬぼれる。しかし、実は、彼らの舌が無分別に語り、心が反逆的であったために、このような哀れな品性の破壊者が現れるに至ったのに気づかない。この人々が誘惑に負けて堕落したのは、彼らの感化によったのである。 COL 1319.4

このようにして、自称クリスチャンが、軽はずみでわがままな態度で、いいかげんな生活を送ることによって、多くの魂を命の道から追いやっている。神のさばきの時に、自分たちの及ぼした感化の結果を見ることを恐れる者が、多くあらわれることであろう。 COL 1319.5

ただ神の恵みによってのみ、わたしたちは、この賜物を正しく用いることができる。わたしたちは、自分の内には、他人によい感化を及ぼすことができるものを持っていない。自分の無力と神の力の必要とを自覚する時、わたしたちは自分自身に頼らないであろう。わたしたちは、1日、1時間、1瞬間がどんな結果を生じるかを知らないのであるから、天の父にわたしたちの道をまかせないで、1日を始めてはならない。天使たちは、わたしたちを保護するように、神の任命を受けているから、もし、わたしたちが、天使の守護の下にあるならば、どんな危険な時にも、天使たちは、わたしたちの右にいるのである。わたしたちが、無意識のうちに、悪い感化を及ぼす危険がある場合、天使がわたしたちの側で、他のよい方法をとるように注意してくれて、言うべき言葉を選び、わたしたちの行動を導いてくれる。こうして、わたしたちの感化は、無 言で無意識のものであっても、他の人々をキリストと天国に導く強い力となるのである。 COL 1319.6