各時代の希望

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第23章 「神の国は近づいた」

「イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べ伝えて言われた、『時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ』」(マルコ1:14、15)。 DA 781.5

メシヤの来臨は最初にユダヤで発表された。エルサレムの宮で、先駆者の誕生が、祭壇の前で奉仕していたザカリヤに予告された。ベツレヘムの丘の上で、天使たちがイエスの誕生をふれ知らせた。エルサレムへは博士たちがメシヤをさがしにきた。宮の中で、シメオンとアンナが、イエスが神のみ子であることをあかしした。「エルサレムとユダヤ全国」は、バプテスマのヨハネの説教を聞いた。サンヒドリンの代表者たちは、群衆といっしょに、イエスについてのヨハネのあかしを聞いた。ユダヤで、キリストは、最初の弟子たちを受け入れられた。イエスの公生涯の初めの大部分は、ここで送られた。宮のきよめにあらわれた神性のひらめき、いやしの奇跡、その口から出た天来の真理の教え、そうしたことのすべては、ベテスダでのいやしののちに、イエスがサンヒドリンの前で宣言されたこと、すなわちイエスが永遠の神のみ子であることを告げていた。 DA 781.6

もしイスラエルの指導者たちが、キリストを受け入れていたら、イエスは、世に福音を伝える使者となる栄誉を彼らにお与えになったのである。神の国と恩恵とを告げ知らせる者となる機会は、最初に彼らに与えられた。しかしイスラエルはおとずれの時を知らなかった。ユダヤ人の指導者たちのねたみと不信は、 公然たる憎悪心へ発展し、民の心はイエスから離れた。 DA 781.7

サンヒドリンは、キリストの使命を拒否し、イエスの死刑を決めていた。そこでイエスは、エルサレムから、祭司たちから、宮から、宗教界の指導者たちから、また律法によって教育された民から離れて、使命を宣伝するためと、万国の民に福音を伝える者たちを集めるために、他の階級に向かわれた。 DA 782.1

キリストの時代に人類の光と生命が、教会当局によって拒否されたように、それはつづく各時代においても拒否された。キリストがユダヤからしりぞかれた歴史は、幾度もくりかえされた。宗教改革者たちが神のみことばを説いた時、彼らは、国教会から分離する考えはなかった。しかし宗教界の指導者たちが、光に対して寛容な態度を示そうとしなかったので、光を持った人たちは、真理にあこがれている他の階級の人たちをさがさねばならなかった。今日宗教改革者たちに従う者であることを自称している人々の中には、彼らの精神に生きている者が少ない。神のみ声をもとめて耳をかたむけ、真理がどんな形で示されようと、それを受け入れる用意のできている人は少ない。宗教改革者たちの足跡に従う者たちは、神のみことばのはっきりした教えを宣言するために、愛する教会から離れなければならない場合がたびたびある。また光を求めている人たちは、神に服従するために、この同じ教えによってやむなく父祖たちの教会から離れなければならないことが幾度もある。 DA 782.2

ガリラヤの人たちは、エルサレムのラビたちから、無作法で、無教育だといって軽蔑されたが、救い主にとっては、はるかに有望な働き場であった。彼らは、ラビたちよりも熱心で、誠実で、頑迷さに支配されていなかった。彼らの心は、真理を受け入れるのにもっと広く開かれていた。イエスがガリラヤに行かれたのは、世間から離れたり、1人でいたりするためではなかった。当時この地方は、人口の多い土地で、ユダヤよりもずっと多くの他国人がまざっていた。 DA 782.3

イエスが教えたり病人をいやしたりしながらガリラヤを旅行されると、町や村から、群衆がみもとに集まってきた。ユダヤや隣接の地方からさえ多くの人々がやってきた。たびたびイエスは、人々から身をかくされねばならなかった。民の熱心が高まってきたので、ローマ当局に反乱の不安を感じさせないように用心する必要があった。この世界にとって、このような時代はこれまでかつてなかった。天の神が、人々のもとにくだられたのである。イスラエルの救いを長い間待って、飢えかわいていた魂は、いま恵み深い救い主の恩恵のふるまいにあずかった。 DA 782.4

キリストの説教の主旨は、「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」であった(マルコ1:15)。このように、救い主ご自身によって与えられた福音の使命は、預言に基づいていた。イエスが「時は満ちた」と宣言されたその「時」は、天使ガブリエルによってダニエルに知らされた期間のことであった。「あなたの民と、あなたの聖なる町については、70週が定められています。これはとがを終らせ、罪に終りを告げ、不義をあがない、永遠の義をもたらし、幻と預言者を封じ、いと聖なる者に油を注ぐためです」と天使は言った(ダニエル9:24)。預言の1日は1年を表わしている(民数記14:34、エゼキエル4:6参照)。70週すなわち490日は、490年を表わす。この期間の起算点が与えられている。「エルサレムを建て直せという命令が出てから、メシヤなるひとりの君が来るまで、7週と62週あることを知り、かつ悟りなさい」つまり69週、すなわち483年である(ダニエル9:25)。エルサレム再建の命令は、アルタシャスタ・ロンギマナスの布告によって完結されたが、それは紀元前457年の秋に発効した(エズラ6:14、7:1・英訳聖書注、9参照)。この時からかぞえて、483年は、紀元27年に当る。預言によれば、この期間は、あぶらそそがれたお方メシヤに及ぶことになっていた。紀元27年に、イエスは、バプテスマの時、聖霊のあぶらを受け、その後すぐに公生涯にお入りになった。その時、「時は満ちた」とのメッセーシが宣伝されたのであった。 DA 782.5

それから天使は、「彼は1週の間(7年間)多くの者と、堅く契約を結ぶでしょう」と言った(ダニエル 9:27)。救い主が公生涯にお入りになってから7年の間、福音は、特にユダヤ人に伝えられるのであった。すなわち3年半はキリストご自身によって、その後は使徒たちによって、福音が伝えられるのであった。「彼はその週の半ばに、犠牲と供え物とを廃するでしょう」(ダニェル9:27)。紀元31年の春、まことのいけにえであられるキリストは、カルバリーでささげられた。その時神殿の幕が真っ二つに裂けて、犠牲制度の神聖さと意義とが失われたことを示した。地上のいけにえと供え物とが廃される時がきたのであった。 DA 782.6

1週—7年—は紀元34年に終った。その時、ユダヤ人は、ステパノを石で打ち殺したことによって福音の拒否を決定的なものにした。迫害されたために国外に離散した弟子たちは、「御言を宣べ伝えながら、めぐり歩いた」(使徒行伝8:4)。それからまもなく、迫害者サウロが改心して、異邦人への使徒パウロとなった。 DA 783.1

キリストの来臨、キリストが聖霊によってあぶらをそそがれること、キリストの死、異邦人に福音が伝えられることなどについて、その時期がはっきり示されていた。こうした預言をさとり、それがイエスの使命の中に成就されているのを認めることは、ユダヤ民族の特権であった。キリストは弟子たちに、預言の研究が重要であることを強調された。イエスは、彼らの時代についてダニエルに与えられた預言にふれ、「読者よ、悟れ」と言われた(マタイ24:15)。復活後キリストは、「聖書全体にわたり、ご自身についてしるしてある事どもを」弟子たちに説明された(ルカ24:1η)。救い主は、すべての預言者たちを通してお語りになっていた。「彼ら……のうちにいますキリストの霊が、キリストの苦難とそれに続く栄光とを、あらかじめあかしした」のであった(Ⅰペテロ1:11)。 DA 783.2

ダニエルのところへ神からのみことばをもってきたのは、神のみ子に次ぐ位にある天使ガブリエルであった。愛するヨハネに将来のことを示すために、キリストからつかわされたのも、「彼の天使」ガブリエルであった。そしてこの預言のことばを朗読し、聞き、そこに書かれていることを守る者に、祝福が宣告されている(黙示録1:3参照)。 DA 783.3

「まことに主なる神はそのしもべである預言者にその隠れた事を示さないでは、何事をもなされない」「隠れた事はわれわれの神、主に属する」が、「表わされたことは長くわれわれとわれわれの子孫に属」するのである(アモス3:7、申命記29:29)。神はこれらのことをわれわれにお与えになっており、神の祝福は、預言の書を祈りのうちに、敬虔な思いで研究する者に伴うのである。 DA 783.4

キリスト初臨の使命が、キリストの恩恵の王国を宣言したように、キリスト再臨の使命は、キリストの栄光の王国を宣言している。そして第二の使命は、第一の使命と同じに、預言に基づいている。末の世についてダニエルに言われた天使のことばは、終わりの時に理解されるのであった。その時になると、「多くの者は、あちこちと探り調べ、そして知識が増すでしょう」「悪い者は悪い事をおこない、ひとりも悟ることはないが、賢い者は悟るでしょう」と言われている(ダニエル12:4、10)。救い主は、自ら来臨のしるしをお与えになって、こう言っておられる。「このようにあなたがたも、これらの事が起るのを見たなら、神の国が近いのだとさとりなさい」「あなたがたが放縦や、泥酔や、世の煩いのために心が鈍っているうちに、思いがけないとき、その日がわなのようにあなたがたを捕らえることがないように、よく注意していなさい」「これらの起ろうとしているすべての事からのがれて、人の子の前に立つことができるように、絶えず目をさまして祈っていなさい」(ルカ21:31、34、36)。 DA 783.5

われわれは、これらの聖句に予告されている時期に達した。終わりの時は来、預言者たちのまぼろしは解明され、彼らの厳粛な警告は、主が栄光のうちにこられるのが迫っていることを、われわれにさし示している。 DA 783.6

ユダヤ人は、神のみことばの解釈とその適用とを誤り、彼らはおとずれの時がわからなかった。キリストと使徒たちとによる伝道の幾年間、——選民にとって恩恵のとうとい最後の幾年間を——彼らは、主の 使者たちを殺す計画のうちにすごした。彼らは、この世の野望に熱中していたので、彼らに霊的王国が提供されてもむだだった。同じように今日も、人々の思いは、この世の王国のことに奪われ、彼らは急速に成就しつつある預言と、すみやかにやってくる神の王国のしるしとについて何の注意も払っていない。 DA 783.7

「しかし兄弟たちよ。あなたがたは暗やみの中にいないのだから、その日が、盗人のようにあなたがたを不意に襲うことはないであろう。あなたがたはみな光の子であり、昼の子なのである。わたしたちは、夜の者でもやみの者でもない」(Ⅰテサロニケ5:4、5):主の再臨の時日を知ることはできないが、その日が近いことはわかる。「だから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして慎んでいよう」(Ⅰテサロニケ5:6)。 DA 784.1