患難から栄光へ

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第一三章   砂漠での内省の日日

本章は使徒行伝九章一九節-三〇節に基づく AAJ 130.1

バプテスマを受けたのち、パウロは断食を終えて「ダマスコにいる弟子たちと共に数日間を過ごしてから、ただちに諸会堂でイエスのことを宣べ伝え、このイエスこそ神の子であると説きはじめた」。彼はナザレのイエスが、長いあいだ待ちのぞんでいたメシヤであると、大胆に宣べ伝えた。そして「キリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、そして葬られたこと、・・・・三日目によみがえったこと」、十二人やその他の人々に現れ、「最後に、いわば、月足らずに生れたようなわたしにも、現れたのである」とパウロはつけ加えた(コリント第一-一五ノ三、四、八)。預言から説く彼の論法は非常に断固たるもので、彼の努力には明らかに神の力が伴っていたので、ユダヤ人たちは面くらい、彼に太刀打ちできなかった。 AAJ 130.2

パウロの改心の知らせにユダヤ人たちは非常に驚いた。「祭司長たちから権限と委任とを受けて」信 者たちを捕らえ、求刑するためにダマスコに行った彼は今、十字架にかけられて、よみがえられた救い主の福音を宣べ伝え、既に福音の弟子となった者たちの力を強め、彼が今まで激しく反対していた信仰へと絶えず新しい改心者を導いていたのである。 AAJ 130.3

パウロは以前はユダヤ教の熱烈な擁護者として、またイエスの弟子たちを疲れを知らずに迫害する者として知られていた。勇気があり、自主的で辛抱強いパウロは、その才能と教育とをもって、どんな資格においてでも奉仕することができた。彼は驚くべき明確さで弁明し、どぎまぎさせるような皮肉で反対者を勝ち目のない状態におくことができた。こうして今ユダヤ人たちは、この並々ならぬ有望な青年が、以前自分が迫害していた人たちと一緒になり、恐れることなくイエスの名によって説教しているのを見た。 AAJ 131.1

軍司令官が戦場で戦死すると、その軍隊にとって損失になるが、その死は敵の力を増大させることはない。しかし卓越した人物が敵方に加わると、彼の働きが失われるばかりか、彼が加わった側は決定的な利益を得る。タルソびとサウロはダマスコへの途上で、神によって簡単に打ち殺されていてもよかった。そうすれば迫害する力を大いに減退させたであろう。しかし神はみ摂理によってサウロの命を助けたばかりか、彼を改心させて、敵側の戦士からキリストの側の戦士になさった。雄弁な演説家であり、辛辣しんらつな批評家であるパウロは、断固たる志と豪胆な勇気を備えていて、初代教会にちょうど必要な資質を持っていたのである。 AAJ 131.2

パウロがダマスコでキリストを宣べ伝えたとき、その言葉を聞いた者はみな驚いて言った、「あれは、エルサレムでこの名をとなえる者たちを苦しめた男ではないか。その上ここにやってきたのも、彼らを縛りあげて、祭司長たちのところへひっぱって行くためではなかったか」。パウロは自分の信仰の変化は、衝動や熱狂にかりたてられたものではなく、抵抗できない力によってなし遂げられたものであると述べた。彼は福音を提示するにあたって、キリストの初臨に関する預言を明白に教えようと努めた。そして彼は結論として、これらの預言が文字通りにナザレのイエスに成就したことを告げた。彼の信仰の基礎はゆるぎない預言のことばであった。 AAJ 132.1

パウロは驚いている人々に「悔い改めて神に立ち帰り、悔改めにふさわしいわざを行うようにと」説き続けて(使徒行伝二六ノ二〇)、「ますます力が加わり、このイエスがキリストであることを論証して、ダマスコに住むユダヤ人たちを言い伏せた」。しかし多くの人々は彼の説教に応じることを拒み、心をかたくなにした。やがて、パウロの改心に対する彼らの驚きは、イエスに示したような憎しみに変わった。 AAJ 132.2

反対がますます激しくなったので、パウロはダマスコで働きを続けることができなくなった。天よりの使者がしばらくそこを去るようにと彼に命じたので、彼は「アラビヤに出て行っ」て、そこで安全なかくれ家を見つけた(ガラテヤ一ノ一七)。 AAJ 132.3

パウロは砂漠のさびしい所で、静かな研究と瞑想の時を十分に得た。彼は静かに自分の過去をふりか えり、悔い改めの確かなわざをなした。彼は真心から神を求めて、彼の悔い改めが受け入れられ、罪がゆるされたことを確かめるまで気を安めなかった。彼はこれから伝道するにあたって、イエスが彼と共にいてくださるという確証を得たいと切望した。彼はこれまで彼の生活を形造っていた偏見や言い伝えを一切捨てて、真理の源なる神の教えを受けた。イエスはパウロと交わり、彼の信仰を固め、知恵と恵みを豊かにお与えになった。 AAJ 132.4

人の心が神の心と交わり、限りあるものが無限の創造主と交わるとき、身体や精神や魂に及ぼすその影響は計り知れない。そのような交わりの中に最高の教育がある。それが神ご自身の教育方法である。「あなたは神と和ら・・・・ぐがよい」これは神が人類にお与えになった教えである(ヨブ記二二ノ二一)。 AAJ 133.1

アナニヤに会ったときにパウロが受けたおごそかな命令は、パウロの心にますます重くとどまった。「兄弟サウロよ、見えるようになれ」という言葉に答えてパウロがはじめてこの信仰深い人の顔を見たとき、アナニヤは聖霊の霊感をうけて彼に告げた。「わたしたちの先祖の神が、あなたを選んでみ旨を知らせ、かの義人を見させ、その口から声をお聞かせになった。それはあなたが、その見聞きした事につき、すべての人に対して、彼の証人になるためである。そこで今、なんのためらうことがあろうか。すぐ立って、み名をとなえてバプテスマを受け、あなたの罪を洗い落しなさい」(使徒行伝二二ノ一四-一六)。 AAJ 133.2

これらの言葉はイエスご自身が、ダマスコへの旅の途上にいたサウロを捕らえてお語りになったこと ばと一致するものであった。「わたしがあなたに現れたのは、あなたがわたしに会った事と、あなたに現れて示そうとしている事とをあかしし、これを伝える務に、あなたを任じるためである。わたしは、この国民と異邦人との中から、あなたを救い出し、あらためてあなたを彼らにつかわすが、それは、彼らの目を開き、彼らをやみから光へ、悪魔の支配から神のみもとへ帰らせ、また、彼らが罪のゆるしを得、わたしを信じる信仰によって、聖別された人々に加わるためである」とイエスは言われたのである(使徒行伝二六ノ一六-一八)。 AAJ 133.3

パウロはこれらの事を心の中でじっくり考えながら、「神の御旨により召されてキリスト・イエスの使徒となった」意味をますますはっきり理解するようになった(コリント第一・一ノ一)。その召しは「人々からでもなく、人によってでもなく、イエス・キリストと彼を死人の中からよみがえらせた父なる神」から来たものであった(ガラテヤ一ノ一)。自分の前にある働きの重大さを思って、パウロは聖書をよく研究するようになった。それは彼が福音を、「知恵の言葉を用いずに宣べ伝えるためであった。それは、キリストの十字架が無力なものになってしまわないためなのである。」また「霊と力との証明に」より、聞いた者の信仰が「人の知恵によらないで、神の力によるものとなるためであった」(コリント第一・一ノ一七、二ノ四、五)。 AAJ 134.1

パウロは聖書を探りながら、各時代を通じて「人間的には、知恵のある者が多くはなく、権力のある者も多くはなく、身分の高い者も多くはいない。それだのに神は、知者をはずかしめるために、この世 の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選び、有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれた」ことを知った。「それは、どんな人間でも、神のみまえに誇ることがないためである」(コリント第一・一ノ二六-二九)。このようにこの世の知恵を十字架の光に照らしてみて、パウロは「イエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリスト以外のことは・・・・何も知るまいと、決心した」(コリント第一・二ノ二)。 AAJ 134.2

その後、伝道の働きを通して、パウロは知恵と力の源であられるかたを見失うことがなかった。何年かたってのちもなお「わたしにとっては、生きることはキリストであ」ると彼が言うのを聞くことができる(ピリピ一ノ二一)。また「わたしは、更に進んで、わたしの主キリスト・イエスを知る知識の絶大な価値のゆえに、いっさいのものを損と思っている。キリストのゆえに、わたしはすべてを失った・・・・それは、わたしがキリストを得るためであり、律法による自分の義ではなく、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基く神からの義を受けて、キリストのうちに自分を見いだすようになるためである。すなわち、キリストとその復活の力とを知り、その苦難にあずか」るためであるとパウロは述べている(ピリピ三ノ八-一〇)。 AAJ 135.1

パウロはアラビヤから「再びダマスコに帰っ」て(ガラテヤ一ノ一七)、「イエスの名で大胆に宣べ伝えた」。彼の説得の知恵に逆らうことができなかった「ユダヤ人たちはサウロを殺す相談をした」。 彼がのがれる道を遮断するために、町の門は夜昼休みなく見張りがつけられた。この危機のために弟子たちは熱心に神を求めて、ついに彼らは「夜の間に彼をかごに乗せて、町の城壁づたいにつりおろした」(使徒行伝九ノ二五)。 AAJ 135.2

ダマスコからのがれ出てのち、パウロはエルサレムに行った。改心以来、約三年たっていた。ここを訪問した主な目的は、彼がのちに述べているように「ケパ(ペテロ)をたずね」るためであった(ガラテヤ一ノ一八)。以前に「迫害者サウロ」としてよく知られていた所に着いてすぐパウロは、「弟子たちの仲間に加わろうと努めたが、みんなの者は彼を弟子だとは信じないで、恐れていた」。以前にあれほど頑迷がんめいなパリサイ人で、教会をひどく破壊した人がイエスの誠実なしもべになることができたとは、弟子たちにはなかなか信じられなかった。「ところが、バルナバは彼の世話をして使徒たちのところへ連れて行き、途中で主が彼に現れて語りかけたことや、彼がダマスコでイエスの名で大胆に宣べ伝えた次第を、彼らに説明して聞かせた。」 AAJ 137.1

これを聞いて弟子たちは、パウロを自分たちの仲間のひとりとして受け入れた。まもなく彼らは、パウロのクリスチャン経験が正真正銘のものだという十分な証拠を得た。異邦人に対する将来の使徒は、以前に彼が交わっていた人々の大ぜいいるこの町に、今、来ているのであった。そして、これらのユダヤ人の指導者たちに、既に救い主の来臨によって成就されていた、メシヤに関する預言を明らかにしたいと彼は思った。パウロは、これまで非常によく知っていたこれらのイスラエルの教師たちが、以前の 彼と同様に誠実で正直だということを確信していた。しかし彼は、ユダヤ人の兄弟たちの精神を見込み違いしていたために、彼らを性急に改心させようとして、みじめな失望に陥るはめになった。彼は「主の名によって大胆に語り、ギリシヤ語を使うユダヤ人たちとしばしば語り合い、また論じ合った」が、ユダヤ教の主立った人々は信じることを拒み、「彼を殺そうとねらっていた」。パウロの心は悲しみに満たされた。彼は、そうすることでだれかに真理を理解させることができれば、自分の命をよろこんで捨てたであろう。パウロはステパノの殉教に自分が積極的な行動に出たことを恥ずかしく思い返し、不実に訴えられた者の上につけられた汚点を今拭い去りたいと願って、ステパノが命をかけて守り通した真理を彼も擁護しようとした。 AAJ 137.2

信じることを拒んだ人々のために重荷を感じて、パウロは宮で祈っていた。後になって彼はこの事をあかししているが、その時、彼は夢心地になった。そこに天使が現れて彼に言った、「急いで、すぐにエルサレムを出て行きなさい。わたしについてのあなたのあかしを、人々が受けいれないから」(使徒行伝二二ノ一八)。 AAJ 138.1

パウロは、反対者に立ち向かうことのできるエルサレムに留まっていたい気持ちであった。彼にとって、逃げることはおく病な行為に思えた。たとえ留まることが命をかけることであっても、もし留まれば頑固なユダヤ人たちのだれかに、福音使命の真理を確信させることができるかもしれないからであった。そこで彼は「主よ、彼らは、わたしがいたるところの会堂で、あなたを信じる人々を獄に投じたり、む ち打ったりしていたことを、知っています。また、あなたの証人ステパノの血が流された時も、わたしは立ち合っていてそれに賛成し、また彼を殺した人たちの上着の番をしていたのです」と答えた。しかし、神のしもべが不必要に命を危険にさらすことは、神の目的に添うものではなかった。「行きなさい。わたしが、あなたを遠く異邦の民へつかわすのだ」と天使が答えた(使徒行伝二二ノ一九-二一)。 AAJ 138.2

この幻について聞かされた兄弟たちは、パウロが暗殺されることを恐れて、急いで彼をエルサレムからひそかに逃れさせた。兄弟たちは「彼をカイザリヤに連れてくだり、タルソへ送り出した」。パウロが去ったことで、ユダヤ人たちの激しい反対が一時停止し、教会は平安を保ち、多くの人々が信者の中に加えられた。 AAJ 139.1