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161 患難から栄光へ, p. 43 (Ellen Gould White)
第五章 聖霊の働き
162 患難から栄光へ, p. 43.2 (Ellen Gould White)
… は聖霊が主の代表者として、やがて大きな働きをする時があることをご指摘になった。聖霊の神聖な力は、幾世紀 ものあいだ積み上げられてきた悪と戦わなければならなかった。
163 患難から栄光へ, p. 44.1 (Ellen Gould White)
… 当日、聖霊が注がれたその結果はどうであったろうか。復活された救い主についての喜ばしい知らせは、人の住むところにはどこにでも伝えられた。弟子たちがあがないの恵みについての使命を伝えると、人々の心はこの使命の力に従った。教会は四方から集まってくる改心者を見守った。信仰を …
164 患難から栄光へ, p. 45.1 (Ellen Gould White)
人が聖霊の支配に身をゆだねる時、神はこのように大いなる働きをなさることができるのである。
165 患難から栄光へ, p. 45.2 (Ellen Gould White)
… に、聖霊は助言者、聖別する者、導き手、証人としてのぞんだ。信ずる者たちは、神に密接につながって生活すればするほど、あがない主の愛と救いの恵みについて一層はっきりと力強くあかしした。幾世紀にもわたる長い迫害と試練の時代に生きて、生涯、聖霊が豊かにとどまった人々は、この世における …
166 患難から栄光へ, p. 45.3 (Ellen Gould White)
… も、聖霊の働きにより、神を信じる信仰を表すことによってきよめられ、洗練され、高尚にされるように、各自に与えられた力を磨くことを学んだ。彼らは謙遜に、聖霊のつくり変える感化力に自分をゆだねたとき、神の 徳を豊かに受けて、神に似たものにつくりかえられた。
167 患難から栄光へ, p. 46.1 (Ellen Gould White)
… として聖霊を送るという別れの約束は、時がたっても変わりはない。み霊の恵みが豊かに地上の民に注がれないのは、神が制限しておられるからではない。もし約束の実現がみられないとすれば、それは約束が理解されていないからである。もしだれでも求めるならば、すべてのものはみ霊に満たさ …
168 患難から栄光へ, p. 46.2 (Ellen Gould White)
… に聖霊を与えてくださる。み霊のバプテスマを日ごとに受けるためには、働き人がめいめい神に願いをささげなければならない。クリスチャンの働き人は仲間同士集まって、いかに計画し、賢く実行するかということを知ることができるように、特別な助けと天来の知恵を求めなければならない …
169 患難から栄光へ, p. 47.1 (Ellen Gould White)
… こそ、聖霊は信仰の祈りに答えて、心を慰めてくださるのである。
170 患難から栄光へ, p. 47.3 (Ellen Gould White)
聖霊とは何であるか、その正確な定義づけをする必要はない。み霊は助け主「父のみもとから来る真理の御霊」であるとキリストは言っておられる。聖霊については、人々をあらゆる真理に導く働きにおいて「それは自分から語るのではな」いとはっきり述べられている(ヨハネ一五ノ二六、一六ノ一三)。
171 患難から栄光へ, p. 48.1 (Ellen Gould White)
聖霊の性質は神秘である。人間はそれについて説明することができない。なぜなら、主がそれを彼らに明らかにされていないからである。空想的な考えを持った人々は聖霊について書かれた聖句を集めて、人間的な解釈をつくり上げるかもしれないが、そのような見解を受け入れたところで教会を強化することにはならない。余りに深いので人間には理解できないこのような神秘については、沈黙が金である。
172 患難から栄光へ, p. 48.2 (Ellen Gould White)
聖霊の働きはキリストのみことばに明細に記されている。「それがきたら、罪と義とさばきとについて、世の人の目を開くであろう」(ヨハネ一六ノ八)。罪を自覚させるものは聖霊である。もし罪人がみ霊の生きかえらせる感化力に反応するならば、彼は改心へと導かれて、神の要求に従うことの重大さに目覚めるであろう。
173 患難から栄光へ, p. 48.3 (Ellen Gould White)
義に飢えかわく、悔い改めた罪人に、聖霊はこの世の罪を取り除く神の小羊を示す。「わたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるからである」とキリストは言われた。「聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう」(ヨハネ一六ノ一四、一四ノ二六)。
174 患難から栄光へ, p. 48.4 (Ellen Gould White)
聖霊はあがない主の死によって可能となった救いを与えるために、霊的な生まれかわりの力として賜るものである。み霊は、カルバリ-の十字架上でささげられた大きな犠牲に人々の注意を向けさせ、この世に神の愛を示し、改心した人々に聖書の大切な事柄を提示しようと絶えず努めている。
175 患難から栄光へ, p. 48.5 (Ellen Gould White)
聖霊は人々に罪を認めさせ、義の標準を心に示してから、この世のものに対する愛着を取り除き、魂 を聖なる事物への願望で満たす。「あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう」と、救い主は言われた。もし人々が作りかえられることを望むならば、全人格のきよめがなし遂げられるであろう。み霊は神に関する事柄を取り、それを魂に刻みつける。み霊の力によっていのちの道は明らかにされ、そこではだれも過ちをおかす必要がない。
176 患難から栄光へ, p. 50.1 (Ellen Gould White)
… 用い、聖霊によって働いてこられた。これは父祖たちの生活にはっきりあらわされていた。モーセの時代の荒野の教会に対しても、神は「良きみたまを賜わって彼らを教え」られた(ネヘミヤ記九ノ二〇)。使徒の時代にも、神は聖霊の力により教会のために偉大な働きをなさった。父祖たちをささえ、カレブ …
177 患難から栄光へ, p. 51.2 (Ellen Gould White)
地上における神のみわざが閉ざされる終末の時には、聖霊の導きにより、献身した信徒たちのささげる熱心な努力に、神の恵みの特別なしるしが伴うのは事実である。種まき時と、収穫のころに東方の国国に降る前の雨、後の雨という 比喩 ひゆ を用いて、ヘブルの預言者たちは、神の教会に異常なほど豊かに霊的恵みがさずけられることを預言した。使徒の時代の聖霊の降下は前の雨、またはさきの雨の始まりであった。そして、その結果はすばらしかった。終わりの時まで聖霊はまことの教会に臨在するのである。
178 患難から栄光へ, p. 51.3 (Ellen Gould White)
地上の収穫が終わりに近くなると、教会を人の子イエスの来臨に備えるために、霊的な恵みが特別に与えられると約束されている。この聖霊の降下は後の雨にたとえられている。クリスチャンは「春の雨の時」にこの特別の力を収穫の主に求めなければならない。これに 応 こた えて「主はいなずまを造り、大雨 を人々に賜い」、「豊かに雨を降らせ、・・・・秋の雨と春の雨とを降らせられる」(ゼカリヤ書一〇ノ一、ヨエル書二ノ二三)。
179 患難から栄光へ, p. 52.3 (Ellen Gould White)
… において聖霊の助けを必ず受けることができる。このことを主ご自身の模範は保証している。
180 患難から栄光へ, p. 53.1 (Ellen Gould White)
キリストの模範に従う働き人はみな、地上の収穫物を実らせるために神が教会に約束された力を受け、これを用いるために備えをする。朝ごとに福音の使者が主の前にひざまずいて、献身の誓いを新たにするとき、神は信仰を覚醒させ、きよめる力をもった聖霊の臨在をお与えになる。日々の勤めに出かけるとき、彼らは見えない聖霊の力によって「神と共に働く者たち」となることができるという保証を受けるのである。