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161 人類のあけぼの, p. 185.1 (Ellen Gould White)
アダムとエバは、創造の当初、神の律法のことを知っていた。彼らは、律法の要求を知っていた。戒めは彼らの心に書かれていた。人間が罪を犯して堕落したときに、律法は変更されなかった。しかし、彼らを再び服従に立ち帰らせるために救済策が設けられた。救い主の約束が与えられ、大いなる罪祭、キリストの死を予表した捧げ物の犠牲制度が設けられた。しかし、もし神の律法を犯すことがなかったならば、死もなければ、救い主の必要もなかった。従って、犠牲の必要もなかった。
162 人類のあけぼの, p. 185.2 (Ellen Gould White)
アダムは、彼の子孫に神の律法を教えた。そして、神の律法は、父から子へと後の世代に伝わっていった。しかし、人間の贖罪のために恵み深い備えが与えられたにもかかわらず、それを受け入れ、服従した者は少なかった。この世界は罪のために非常に堕落したために、洪水によって腐敗から潔められ …
163 人類のあけぼの, p. 185.6 (Ellen Gould White)
アダムが堕落後に、神から与えられ、ノアが保存し、そしてアブラハムが守った神の律法を人間が遵守していたのであれば、割礼の儀式の必要はなかったはずであった。そして、もしもアブラハムの子孫が契約を守り、そのしるしの割礼を行っていたのであれば、偶像礼拝に惑わされたり、エジプトの …
164 人類のあけぼの, p. 186.1 (Ellen Gould White)
アダムに与えられた犠牲制度もまた、アダムの子孫によって曲解された。迷信、偶像礼拝、残酷、不道徳などが、神の定められた単純で意味深い儀式を腐敗させた。イスラエルの人々は、長い間偶像教徒と接触していたために、彼らの礼拝に異教の習慣を多く取り入れていた。そこで、主は、シナイで …
165 人類のあけぼの, p. 186.5 (Ellen Gould White)
… た。アダム、ノア、アブラハム、イサク、ヤコブ、そしてモーセなどは福音を理解した。彼らは人間の身代わりと保証であられるキリストによる救いを待望した。これらの古代の聖者たちは、この世界に人間となって来られることになっていた救い主と交わったのであった。彼らのなかにはキリストや天使 …
166 人類のあけぼの, p. 189.5 (Ellen Gould White)
この契約はアダムと取りかわされ、また、アブラハムにくり返して与えられたとはいえ、キリストの死によって初めて批准されたのである。これは、初めて贖罪の知らせがかすかながら与えられたときから、神の約束によって存在していたのである。人々は、これを信仰によって受け入れていた。しかし、それがキリストによって批准されたときに、それは新しい契約と呼ばれた。神の律法がこの契約の基礎であった。律法は、単に、神のみこころに人々をもう一度調和させ、彼らが神の律法に従うことができるようにする手段であったに過ぎない。
167 人類のあけぼの, p. 193.7 (Ellen Gould White)
… で、アダムとエバにお与えになった地の果実など、人間に最初に与えられた食物を楽しむことができるよう になるためであった。イスラエルの人々に動物の肉がほとんど与えられなかったのは、こうした理由からであった。
168 人類のあけぼの, p. 248.6 (Ellen Gould White)
… 。また、アダムを罪に誘い、人類に死をもたらしたエデンの欺瞞を指摘することもおできになった。あるいは、イスラエルをいざない、不平と反抗にかり立てて、モーセの寛容と忍耐の緒を切らせ、無防備の一瞬をついて罪を犯させ、死の力のもとに陥れたことをサタンに思い起こさせることも …
169 人類のあけぼの, p. 375.2 (Ellen Gould White)
サタンは、最初から罪によって利益が得られると人々に言ってきた。こうして彼は、天使たちをあざむいた。同様に彼はアダムとエバを罪に誘惑した。彼は、今もなお、こうして多くの人々を神に従わせまいとしている。罪の道は好ましいもののように見せられているが、「その終りはついに死に至る道」である(箴言14:12)。この道に踏み込んでも、罪の結果の苦さを悟って、早くその道から離れた者は幸福である。神はダビデをあわれんで、彼が罪のいつわりの報酬によって完全な滅びに陥るままに放任されなかった。
170 キリストへの道, p. 1937.5 (Ellen Gould White)
… によって、アダムの子らはまた神の子となることができるのです。キリストは人の性情をおとりになって人類を引き上げてくださいました。罪に落ちた人類は、キリストにつながってはじめて「神の子」という、その名にふさわしい尊い者となれるのです。
171 キリストへの道, p. 1944.5 (Ellen Gould White)
アダムとエバは、禁断の木の実を食べるということは、ほんの小さいことであるから、神が宣告されたような恐ろしい結果とはなりえないと、自ら思い込んでしまいました。しかし、この小さいことが神の変わることのない清いおきてを犯し、人を神から引き離し、この世に死と、言い尽されぬ災いを …
172 キリストへの道, p. 1947.5 (Ellen Gould White)
アダムとエバは、禁断の木の実を食べた後、言うに言われぬ恐れを強く感じました。最初、どのように自分たちの罪の言いわけをして、恐ろしい死の宣告を逃れようかと考えました。神が、彼らの罪を正された時、アダムはその罪をなかば神に、なかば自分の同伴者に負わせて「わたしと一緒にしてくださったあの女が、木から取ってくれたので、わたしは食べたのです」と答え、女はその責めをへびに負わせて「へびがわたしをだましたのです、それでわたしは食べました」(創世記3:12、13)と言いました。
173 キリストへの道, p. 1947.6 (Ellen Gould White)
… で、アダムの息子、娘はみなこの精神をあらわしました。こうした告白は聖霊に動かされたものではありませんから、神に受け人れられることはできません。真の悔い改めは、自分の罪を自分で負い、何の虚飾も偽善もなく、罪を認めるのです。哀れな取税人のごとく目を天に向けることさえしないで …
174 キリストへの道, p. 1955.6 (Ellen Gould White)
… 前、アダムは神のおきてに服従することによって、正しい品性をつくり上げることができましたが、彼はこれに失敗し、彼の罪のために、私たちは生まれながら罪あるものとなり、自分の力で義となることはできなくなりました。私たちは罪深く汚れているので、清いおきてに完全に従うことができ …