Search for: 聖霊
121 患難から栄光へ, p. 1505.4 (Ellen Gould White)
パウロは、このような言明をするつもりはなかった。しかし、彼が語っていた時に、聖霊の霊感を感じ、エペソの兄弟たちと会うのはこれが最後かもしれないと考えたことが事実になることを示された。
122 患難から栄光へ, p. 1505.6 (Ellen Gould White)
… たい。聖霊は、神が御子の血であがない取られた神の教会を牧させるために、あなた がたをその群れの監督者にお立てになったのである」。もし福音の伝道者たちが、自分たちの扱っているのはキリストの血によってあがなわれた人々であることを、常に覚えているならば、彼らは、自分たちの働きの …
123 患難から栄光へ, p. 1506.4 (Ellen Gould White)
… を聖霊によって与えられ、「エルサレムには上って行かないように」しきりにパウロに勧めた。しかし、パウロは、苦難に会おうが、投獄されようが、意図したことを変えるつもりはなかった。
124 患難から栄光へ, p. 1507.1 (Ellen Gould White)
ルカは、パウロがカイザリヤに滞在している間に、「アガボという預言者がユダヤから下ってきた」と言っている。「そして、わたしたちのところにきて、パウロの帯を取り、それで自分の手足を縛って言った、『聖霊がこうお告げになっている、「この帯の持ち主を、ユダヤ人たちがエルサレムでこのように縛って、異邦人の手に渡すであろう」』」。
125 患難から栄光へ, p. 1508.6 (Ellen Gould White)
… は、聖霊によって彼に啓示されたものであった。「御霊はすべてのものをきわめ、神の深みまでもきわめるのだからである。いったい、人間の思いは、その内にある人間の霊以外に、だれが知っていようか。それと同じように神の思いも、神の御霊以外には、知るものはない。……わたしたちは人間の知恵が教える …
126 患難から栄光へ, p. 1528.1 (Ellen Gould White)
ナザレのイエスがイスラエルの望みであることについて、パウロが知っていることを語り、見たことをあかしした時、ほんとうに真理を求めていた人たちは納得した。彼の言葉は少なくともある人々の心に、決してぬぐい去られることのない印象を与えた。しかし他の者たちは、聖霊の特別な光を受けている人から聖書の明白なあかしを示されても、それを受け入れることを頑固に拒んだ。彼らはパウロの議論に論駁することができなかったが、その結論を受け入れようとしなかった。
127 患難から栄光へ, p. 1540.1 (Ellen Gould White)
神はわれわれが自己にうち勝つことをお望みになっている。しかし、神は、われわれの同意と協力がなければ、われわれを助けて下さることができない。聖霊は人に与えられた力と能力を用いて働かれる。われわれは自分では、意志と願望と性向とを神のみ旨に一致させることができない。しかし、もしわれわれが喜んでそうするものになりたいと望むなら、救い主はわれわれのためにこれをなし遂げ、「神の知恵に逆らって立てられたあらゆる障害物を打ちこわし、すべての思いをとりこにしてキリストに服従させ」て下さる(Ⅱコリント10:5)。
128 患難から栄光へ, p. 1548.2 (Ellen Gould White)
クリスチャンだと自称し、また他人を教える資格があると自負している多くの者たちが、人間の知恵を誇り、聖霊の感化を軽蔑し、神のみことばの真理をきらうために、神の要求から離れて行くであろう。パウロはテモテに言った。「人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう」。
129 患難から栄光へ, p. 1550.3 (Ellen Gould White)
… せる、聖霊の存在と働きによって満ち足りていた。「あなたは全き平安をもってこころざしの堅固なものを守られる。彼はあなたに信頼しているからである」と預言者イザヤは言っている(イザヤ26:3)。パウロの顔にあらわれていた天来の平安が、多くの魂を福音に導いたのであった。
130 患難から栄光へ, p. 1551.6 (Ellen Gould White)
使徒行伝には使徒ペテロの後期の働きについては、ほとんど証されていない。ペンテコステの聖霊の降下に続く活発な伝道の期間、ペテロは、年毎の祭にエルサレムに参拝しにやってくるユダヤ人たちに接 しようと、ほかの者たちに混じってたゆまぬ努力を続けていた。
131 患難から栄光へ, p. 1554.3 (Ellen Gould White)
真理が生活の中の不動の原則になる時、魂は「朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変ることのない生ける御言によ」って「新たに生れ」る。この新生は、キリストを神のことばとして受け入れた結果である。聖霊によって神の真理が心に刻まれると、新しい思いが喚起され、これまで眠っていた力が呼びさまされて神と協力する。
132 患難から栄光へ, p. 1554.4 (Ellen Gould White)
… 後、聖霊がキリストの教えを弟子たちに思い出させた時、彼らの眠っていた意識が目覚めさせられた。これらの真理の意味が新しい啓示として彼らの心にひらめき、純粋で混ぜ物のない真理が定着した。その時キリストのご生涯のすばらしい経験が彼らのものとなった。みことばは、主の任命され …
133 患難から栄光へ, p. 1556.5 (Ellen Gould White)
… で、聖霊の改心させる万を日ごとに感じ、自分たちが働きかける人々に対して強い無我の愛を抱くのである。
134 患難から栄光へ, p. 1558.6 (Ellen Gould White)
… しきりに聖霊の力を求めるならば、彼らはキリストにあってそれに満たされるのである。
135 患難から栄光へ, p. 1560.2 (Ellen Gould White)
… が聖霊に感じ、神によって語ったものだからである」と、ペテロは言った。
136 患難から栄光へ, p. 1564.6 (Ellen Gould White)
… に聖霊の降下を受け、新しい熱意と力とで人々にいのちのことばを語り続け、彼らの思いを見えない神に向けさせようとした。彼は非常にまじめで熱心な、力に満ちた説教者であった。彼は美しい言葉で、また、音楽的な声でキリストのことばと働きを語り、聞く人々に感銘を与えた。彼は、簡潔な言葉 …
137 患難から栄光へ, p. 1564.8 (Ellen Gould White)
… 、そして聖霊がペンテコステの日に彼らの上に注がれてのち、神の愛と、お互いに持たねばならないその愛の性質についての概念を一層はっきり持つようになった。それからヨハネは仲間の弟子たちに次のように言うことができた。
138 患難から栄光へ, p. 1565.2 (Ellen Gould White)
聖霊の降下ののち、弟子たちが生ける救い主を宣べ伝えに出て行った時、彼らの1つの願いは人々の魂の救いであった。彼らは聖徒たちの交わりのすばらしさに恵まれた。弟子たちはやさしく、思いやりがあり、自制し、真理のためには喜んで犠牲を払った。毎日、互いに交わるうちに、キリストが彼らに申しつけられた愛をあらわすようになった。私心のない言葉と行為によって、彼らは他の人々の心にこの愛をともすよう努めた。
139 患難から栄光へ, p. 1571.5 (Ellen Gould White)
祈りは、罪との戦いとクリスチャン品性の発達における成功の手段として、天が定めたものである。信仰の祈りにこたえて与えられる神の力は、願い求めるすべてのことを嘆願者の心の中に成就する。われわれは、罪のゆるしを、聖霊を、キリストのような性質を、主の働きをなすための知恵と力を、また主が約束された賜物を、求めることができる。そして、それらは「与えられる」と約束されているのである。
140 患難から栄光へ, p. 1575.4 (Ellen Gould White)
… と、聖霊による感銘を受けて、これまで神のみわざに携わっていた時の経験を詳しく話すようになる。神がその民を導かれたすばらしい配慮や、試練から彼らを救い出された神の大きな恵みの記録は、新しく信仰に導かれてきた者たちに繰り返し語られなければならない。神はこの年老いた経験 …