Search for: 聖霊

641 国と指導者, p. 628.2 (Ellen Gould White)

清廉さから少しでも離反することは、防壁を打ち破ってさらに大きな不正へと心を向けさせる。他を陥れて自己の利益を求める者は、その程度に応じて、彼の魂が神の聖霊の影響に無感覚になるのである。そのような値を払って得た利益は、恐るべき損失である。

642 国と指導者, p. 628.6 (Ellen Gould White)

… を聖霊によって明らかに示されて断った。「それでわたしは彼らに使者をつかわして言わせた、『わたしは大いなる工事をしているから下って行くことはできない。どうしてこの工事をさしおいて、あなたがたの所へ下って行き、その間、工事をやめることができようか』」と彼は書いている(ネヘミヤ6 …

643 国と指導者, p. 631.2 (Ellen Gould White)

神は、われわれ人間の力ではどうにもならない、あらゆる緊急事態に対する助けを準備しておられる。神はあらゆる苦境の助けに聖霊を与えて、われわれの希望と確信を強化し、われわれの知性に光を与え、心を純潔にして下さるのである。彼は機会を与えて、働く道を開かれる。もし神の民が、神の摂理の指示するところを見守り、神と協力する準備をしているならば、彼らは大いなる結果を見ることであろう。

644 国と指導者, p. 633.5 (Ellen Gould White)

真に主に立ち返るごとに、生活には永続的喜びが与えられる。罪人が聖霊の感化力に服従するときに、彼は、心を読まれる偉大な主の神聖さと比較して、自分自身の罪と汚れを見るのである。彼は自分が罪に定められているのを見る。しかし彼は、そうだからといって絶望はしない。なぜならば、彼の赦しはすでに確保されたのである。彼は罪が赦されたことを感じ、罪を赦して下さる天の父の愛を喜ぶことができる。悔い改めた罪深い人間を、愛の腕にいだいてその傷を包み、罪から彼らを清め、救いの衣を彼らに着せることは、神の栄光なのである。

645 国と指導者, p. 644.9 (Ellen Gould White)

… て、聖霊の油を注がれた。そしてその後間もなくして、伝道をお始めになったのである。その時、「時は構ちた」という宣言がなされたのである(マルコ1:15)。

646 国と指導者, p. 648.4 (Ellen Gould White)

… の聖霊と恵みとに欠けていたので、その欠点を宗教的儀式と礼典を厳格に守ることによって補おうとした。彼らは、神ご自身がお命じになった儀式では満足せずに、彼ら自身が考案した無数の禁令によって、神の戒めを繁雑なものにした。彼らは、神から遠く隔たれば隔たるほどますます厳格にこうした …

647 国と指導者, p. 651.7 (Ellen Gould White)

… は「聖霊と力とを注がれ……よい働きをしながら……巡回され」たと記されている(使徒行伝10:38)。彼は、ナザレの会堂で次のように言われた。「主の御霊がわたしに宿っている。貧しい人々に福音を宣べ伝えさせるために、わたしを聖別してくださったからである。主はわたしをつかわして、囚人が解放され …

648 国と指導者, p. 666.5 (Ellen Gould White)

新約聖書の時代にも預言者が活躍しています。まずイエス・キリストの誕生の物語の中には、敬虔な老人シメオンのことや、女預言者アンナのことがでています(ルカ2:25~38参照)。シメオンは聖霊に感じて幼児イエスを見いだし、神にさんびをささげました。彼は幼な子イエスと母マリヤの運命について不思議な預言をしました。

649 国と指導者, p. 667.2 (Ellen Gould White)

「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である」と言われています(Ⅱテモテ3:16)。また預言については、「聖書の預言はすべて、自分勝手に解釈すべきでないことを、まず第一に知るべきある。なぜなら、預言は決して人間の意志から出たものでなく、人々が聖霊に感じ、神によって語ったものだからである」とも言われています(Ⅱペテロ1:20、21)。

650 人類のあけぼの, p. 25.1 (Ellen Gould White)

… は聖霊の指導に従って書いたのであるから、地質学の学説が正しいものであれば、モーセの言葉と一致しない発見を主張することはあり得ない。すべての真理は、それが自然であれ、啓示であれ、そのすべてのあらわれ方において常に矛盾はない。

651 人類のあけぼの, p. 95.2 (Ellen Gould White)

… たい。聖霊は、神が御子の血であがない取られた神の教会を牧させるために、あなたがたをその群れの監督者にお立てになったのである。わたしが去った後、狂暴なおおかみが、あなたがたの中にはいり込んできて、容赦なく群れを荒すようになることを、わたしは知っている」(使徒行伝20:28、29 …

652 人類のあけぼの, p. 104.4 (Ellen Gould White)

ヨセフが兄弟たちの前に立ったとき、彼のりっぱな顔は、聖霊の啓示の光に輝いていたので、彼らは称賛せずにはおれなかった。しかし、彼らは、自分たちの悪行を捨てようとはせず、自分たちの罪を責める彼の純潔さを憎んだ。カインの心を動かしたのと同じ精神が彼らの心に燃え上がった。

653 人類のあけぼの, p. 135.3 (Ellen Gould White)

神は、そのしもべを通して人間に語り、注意や警告をお与えになり、その罪を非難なさる。神は、すべての人の品性が決定される前に、そのあやまちを正す機会をお与えになるが、もしその人が正されることを拒否するならば、神のみ力は、その人の行為の傾向をほかに向けるために干渉することをしない。彼には同じことをくり返すことが容易なのである。彼は、聖霊の感化に反対して心をかたくなにしている。光を退け続けると、さらに強力な感化力であっても永続的な印象をうけつけなくなるのである。

654 人類のあけぼの, p. 148.2 (Ellen Gould White)

… の聖霊を悲しませる。いらだたせ、疲れさせるだけで、試みに耐える助けとならない心配をしてはならない。われわれの幸福が地上の事物にあるかのように、将来の必要に対する備えを人生の主要事として、神への不信をいだいてはならない。神の民が、心配事にうちひしがれることは、みこころでは …

655 人類のあけぼの, p. 166.2 (Ellen Gould White)

… 、ついに聖霊の働きに心を堅く閉じてしまったりするならば、彼らの名は、審判のときに命の書から消され、滅ぼされてしまう。モーセは、罪人の運命がどんなに恐ろしいものであるかを知っていた。しかし、モーセは、もしイスラエルの人々が主に拒否されるならば、彼らと共に自分の名も消されること …

656 人類のあけぼの, p. 184.1 (Ellen Gould White)

… せる聖霊の力がないので、彼は自分の罪に対してなかば盲目的な状態に陥っている。このような罪に陥っている者に、その危険を教えるのは、キリストのしもべたちの務めである。罪の本性と罪から生ずる結果に対して、罪人の目を盲目にさせて警告の効力を失わせる者は、そうすることが …

657 人類のあけぼの, p. 184.4 (Ellen Gould White)

… いる聖霊の宮であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい」「だから、飲むにも食べるにも、また何事をするにも、すべて神の栄光のためにすべきである」。あらゆる時代の …

658 人類のあけぼの, p. 190.5 (Ellen Gould White)

… が、聖霊によって心の板に書かれるのである。自分自身の義を確立させようと努力するかわりに、われわれは、キリストの義を受け入れる。キリストの血がわれわれの罪を贖うのである。キリストの服従が、われわれに代わって受け入れられる。こうして、聖霊によって新しくされた心は、「御霊の実」を結ぶ …

659 人類のあけぼの, p. 209.6 (Ellen Gould White)

… は聖霊に対する罪を犯した。人の心は、この罪によって堅く閉ざされて、神の恵みに浴することができなくなるのである。「また人の子に対して言い逆らう者は、ゆるされるであろう。しかし、聖霊に対して言い逆らう者は……ゆるされることはない」とキリストは言われた(マタイ12:32)。この言葉は、救い主 …

660 人類のあけぼの, p. 210.1 (Ellen Gould White)

… は、聖霊の働きによって罪人を譴責し、罪を悟らせられる。であるから、聖霊がついに拒否されてしまうならば、神はその魂のためにもう何もおできにならない。神のあわれみの最後の手段がとられたのである。罪人は自分を神から切り離した。そして、罪には、それからの救済策がないのである。罪人に …