Search for: 聖霊

601 祝福の山, p. 1133.5 (Ellen Gould White)

… 現れる聖霊は、かたくなな心を和らげ、同情とやさしさをよび起こす。あなたは、自分がまいたものを刈り取るのである。「貧しい者をかえりみる人はさいわいである。……主は彼を守って、生きながらえさせられる。彼はこの地にあって、さいわいな者と呼ばれる。あなたは彼をその敵の欲望にわたされない …

602 祝福の山, p. 1134.4 (Ellen Gould White)

しかし、聖霊の内住によってきよめられてきた心にとっては、すべてが変わってくる。これらの人々は、神を知ることができる。モーセは主の栄光があらわされた時、岩の裂け目にかくれた。わたしたちが神の愛を見るのは、キリストの中にかくれる時である。

603 祝福の山, p. 1134.5 (Ellen Gould White)

… ある。聖霊は神と、神がつかわされたお方に関する真理を人間が理解し、心に受け入れられるようにされるのである。心の清い者は、自分たちのあがない主として新しい関係をもって神を見る。彼らは主の品性の純潔と美しさを見ると同時に、主のみかたちを反映することを切望する、彼らは悔い改め …

604 祝福の山, p. 1138.6 (Ellen Gould White)

塩の味はクリスチャンの活力——心にあるイエスの愛、生活に浸透するキリストの義——をあらわす。キリストの愛はひろがり、くい込む性質がある。それがわたしたちのうちに宿る時、他の人々に向かってあふれでるのである。わたしたちは、人々の心がわたしたちの無我の関心と愛によって暖められるまで、彼らと親しくなるべきである。誠実な信徒は生きた活力を発散する。それは、彼らが働きかける相手の魂の中にしみ込んで、新しい道徳的な力を与える。品性を変える働きをするのは、人間の力ではなく聖霊の力である。

605 祝福の山, p. 1139.2 (Ellen Gould White)

… が聖霊に用いていただかない限り、わたしたちは味を失った塩のようで、全く値打ちのないものである。キリストのめぐみに欠けることによって、わたしたちが信じると主張する真理は何らきよめる力をもたないことを、わたしたちは世に立証するのである。こうしてわたしたちの影響が及ぶ限り …

606 祝福の山, p. 1140.3 (Ellen Gould White)

… た聖霊の感化をそれだけ失うことになるのである。

607 祝福の山, p. 1143.4 (Ellen Gould White)

山上でイエスの言葉に聞き入っていた愛された弟子ヨハネは、そのずっと後に聖霊の感動のもとに筆をとり、律法を永遠の義務として述べている。「罪とは律法に背くことである」。また「すべて罪を犯す者は、律法に背く者である」(Ⅰヨハネ3:4・英語欽定訳)。ヨハネは、ここで言う律法は、「あなたがたが初めから受けていた古い戒めである」ことを明らかにしている(Ⅰヨハネ2:7)。彼は創造の時すでに存在しており、シナイ山で反復された律法のことを言っているのである。

608 祝福の山, p. 1151.4 (Ellen Gould White)

仲間を欺くことには恐れを感じないが、自分の造り主にいつわりを言うのは恐ろしいことであると教えられ、また、聖霊によってその印象を強く与えられてきた者が非常に多くいる。誓いを立てる時には、人の前のみならず、神の前にもあかしを立てているのであって、もし偽りのあかしを立てるなら、それは心を読みとり、事実を正確に知っておられるお方にそれを言うのだと、彼らは感じさせられた。この罪には恐ろしい審判が続くと知ることは、彼らを抑制する力があるのである。

609 祝福の山, p. 1154.10 (Ellen Gould White)

… の聖霊に対して全く閉ざされているのでなければ、親切には応じてくる。彼らは、憎まれれば憎むが、愛されればまた愛することもできるのである、しかし、憎しみに対して愛で報いるのは、神の聖霊だけである。感謝の気持ちのない者や悪しき者に親切 を尽くし、何も当てにしないで善をなすこと——これ …

610 祝福の山, p. 1155.8 (Ellen Gould White)

… 、その聖霊によって生まれたのであれば、神の生命によって生きる。キリストには、「満ちみちているいっさいの神の徳が、かたちをとって宿って」いる(コロサイ2:9)。そしてイエスの生命は「わたしたちの死ぬべき肉体に」あらわされる(Ⅱコリント4:11)。あなたの中にあるこの生命が、イ エスに生み出し …

611 祝福の山, p. 1156.8 (Ellen Gould White)

こう言われたからといって、イエスは、親切な行為はいつも隠しておくべきだと教えられたのではない。使徒パウロは聖霊に感じて手紙を書き送り、マケドニヤのクリスチャンの物惜しみしない自己犠牲の精神を隠すことをせず、キリストが彼らのうちにあって働いた恵みを述べたのであったが、こうしてほかの人々も、同じ精神に満たされたのである。彼はコリントの教会に書き送ったときにも、「あなたがたの熱心は、多くの人を奮起させた」と述べている(Ⅱコリント9:2)。

612 祝福の山, p. 1156.10 (Ellen Gould White)

… すべて聖霊によるのであって、聖霊はそれを受ける人間の栄えのためではなくて、その与え主なる神に栄えを帰するために授けられる。キリストの光が魂の中で輝く時、くちびるは神への賛美と感謝に満たされる。あなたは自分の祈り、自分の義務を果たしたこと、自分の博愛、自分の自己犠牲など …

613 祝福の山, p. 1157.6 (Ellen Gould White)

親切の行為は、隠れたところでなされても、その人の品性にあらわれる結果は隠すことができない。わたしたちは、キリストの弟子として、全くおのれをささげて働くなら、心は神の心と一つとなり、神の聖霊はわたしたちの心に働きかけて、神のみ手がふれるのに答えて、聖なる音をかなでるようにしてくださるのである。

614 祝福の山, p. 1160.1 (Ellen Gould White)

キリストはわたしたちに、キリストに奉仕することが実際に楽しいものであると世にあらわすことを望んでおられる。自己犠牲や心の中の人知れない試練は、これを憐れみ深い救い主に申し上げよう。重荷は十字架のもとに置いて、まずあなたを愛された主の愛を受けて、道を進もう。人々は、魂と神との間でひそかに行われる交わりを知ることはないであろうが、聖霊が心に働きかけられた結果は、すべての人に明らかになるのである。「隠れた事を見ておられる」お方が、「あからさまに報いてくださる」からである(マタイ6:6・英語欽定訳)。

615 祝福の山, p. 1161.10 (Ellen Gould White)

… の聖霊にさからうならば、この次にさらに強い力で光が来ても再びその光にさからうようになる。こうして反抗から反抗へと進み、ついに光は感銘を与えることができなくなり、罪人は神の聖霊にまったく応じなくなる。その時は、「あなたの内なる光」までが暗闇となる(マタイ6:23)。すでに知って …

616 祝福の山, p. 1162.4 (Ellen Gould White)

… は聖霊とともに行動しなければならない。その時、生きているのはもはや彼らではなく、彼らのうちにキリストが生きるのである。神に自分を完全にささげない者は、別の力に支配され、まったく違った言葉をささやく別の声に耳を貸すのである。どっちつかずの奉仕は、人間を暗闇の軍勢の心強い …

617 祝福の山, p. 1163.10 (Ellen Gould White)

… に、聖霊の実を生み出すのである。

618 祝福の山, p. 1169.7 (Ellen Gould White)

… 奉仕、聖霊の賜物、神のしもべたちの働き——これらすべてはあなたのためである。世界と、その中にあるすべてのものは、それがあなたに役立つ限り、あなたのものである。悪者から受ける敵意さえも、天国へ入るための鍛練という祝福となるのである。もし「あなたがたはキリストのもの」であるなら、「すべて …

619 祝福の山, p. 1170.5 (Ellen Gould White)

わたしたちは、みことばを通じてキリストを受け入れる。そして、わたしたちが神のみことばを理解し、その真理を心に悟ることができるように聖霊が与えられる。神のみことばを読む時には、その日の必要に対してわたしたちを力づける真理を、神が聖霊をつかわしてあらわしてくださるように、日ごとに祈るべきである。

620 祝福の山, p. 1172.6 (Ellen Gould White)

神は大いなる愛をもって、わたしたちのうちに、聖霊による尊い徳を育成しようとしておられる。神がわたしたちに障害や迫害や困難がくるのをおゆるしになるのは、のろいとしてでなく、わたしたちの生涯の最高の祝福としてである。うち勝ったあらゆる試み、勇敢に耐えたすべての試練は、わたしたちに新しい経験を与え、わたしたちの品性建設の働きを押し進める。神のみ力によって試みに抵抗した人は、世界と全天にキリストの恵みの力をあらわすのである。