Search for: 聖霊

241 患難から栄光へ, p. 297.1 (Ellen Gould White)

… みな聖霊のきよめの力に支配され、混ぜ合わされて調和を保つのである。彼らが救いの福音を知らせると、多くの者が神の力によって、罪を悟り、改心するであろう。人間の尽力はキリストと共に神のうちに隠され、キリストが、万人の中の最高のおかた、最もすばらしいおかたとして現れる。

242 患難から栄光へ, p. 300.3 (Ellen Gould White)

… て聖霊を受け、救霊の重荷を負い、十字架の勝利を遠くまで及ぼしたいという熱意に心が満たされて出て行くとき、彼らは自分たちの働きの実を見る。人間的な知恵を見せびらかしたり、自己を高めたりす ることを断固として拒むとき、彼らは、サタンの攻撃に耐える働きをなし遂げる。多くの人々 …

243 患難から栄光へ, p. 301.3 (Ellen Gould White)

… て、聖霊の意図が果たされるよう、神の任命された助け手として、さまざまの才能を持った人々を教会に置かれた。自分自身の強い個性に従って行動し、神のみわざに長い経験を持つ他の人々とくびきを共にすることを拒む人々は、自信から盲目となり、誤りと真理を見分けることができなくなる …

244 患難から栄光へ, p. 305.2 (Ellen Gould White)

この兄弟たちは、聖霊の働きについて何も知らなかった。彼らは、聖霊を受けたかとパウロに聞かれると、「いいえ、聖霊なるものがあることさえ、聞いたことがありません」と答えた。「では、だれの名によってバプテスマを受けたのか」と彼がきくと、「ヨハネの名によるバプテスマを受けました」という答えであった。

245 患難から栄光へ, p. 305.3 (Ellen Gould White)

… と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施」 せ(マタイ二八ノ一八、一九)。彼はまた、助け主を送るというキリストのみ約束についても彼らに教えた。その助け主の力により、力強いしるしと不思議が行われるのであった。そして彼は、このみ約束が、ペンテコステの日にいかに輝かしく成就したかを …

246 患難から栄光へ, p. 306.1 (Ellen Gould White)

… は聖霊のバプテスマをも受け、それによって、ほかの国のことばを話したり、預言したりすることができるようになった。こうして彼らは、エペソやその近辺、更に小アジアに福音を宣べ伝えに出て行く宣教師としての資格を与えられた。

247 患難から栄光へ, p. 307.1 (Ellen Gould White)

… に、聖霊が心に働きかけることを知らない人々が大ぜいいるが、神のみことばの中でこれほど明瞭に教えられている真理はない。預言者たちや使徒たちはこのことについてくわしく述べている。キリストご自身が、霊的生命を支える聖霊の働きについての例解として、植物の成長にわれわれの注意 …

248 患難から栄光へ, p. 307.2 (Ellen Gould White)

… 。しかし、聖霊の働きは書かれたみことばに常に一致する。霊的世界は、自然界と同様である。肉体の生命は、一瞬一瞬神の力によって保たれている。しかもそれは、直接の奇跡によって支えられるのではなくて、われわれの手の届くところに置かれている祝福を用いることによって、 支えられるのである …

249 患難から栄光へ, p. 324.1 (Ellen Gould White)

教会は、種々の問題について勧告を求める手紙をパウロに送ったが、彼らの中の重大な罪については、何も言わなかった。しかし使徒パウロは、教会の真の状態が隠されていること、また、手紙の筆者たちが、自分たちの都合のよいように解釈できるような言葉をパウロから引き出そうとしていることを、聖霊によって、力強く知らされた。

250 患難から栄光へ, p. 325.2 (Ellen Gould White)

… た聖霊の賜物を思い起こさせ、クリスチャン生活においてたえず進歩し、ついにはキリストの純潔と神聖さに到達することが、彼らの特権であることを教えた。「あなたがたはキリストにあって、すべてのことに、すなわち、すべての言葉にもすべての知識にも恵まれ、キリストのためのあかしが、あなた …

251 患難から栄光へ, p. 330.3 (Ellen Gould White)

使徒パウロは、純潔と聖潔の生活から、異教の腐敗した習慣にもどることの結果を、はっきりと述べた。「まちがってはいけない。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、・・・・盗む者、貧欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者は、いずれも神の国をつぐことはないのである」。彼は、下劣な情欲 や食欲を抑制するように彼らに訴えた。「あなたがたは知らないのか。自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であ」る。

252 患難から栄光へ, p. 335.1 (Ellen Gould White)

… れ、聖霊の導きを受けた理性が、支配権を握らなければならない。

253 キリストの実物教訓, p. 1194.7 (Ellen Gould White)

… 。こうして聖霊の働きに対して開かれている心には、救い主の教えの意味がますます明らかに示された。神秘的なことも明瞭になり、前には把握できなかったことも明白になった。

254 キリストの実物教訓, p. 1195.6 (Ellen Gould White)

… と、聖霊が人の心に確信を与える。この確信は、理論的推論から得られるものではない。しかし、神を知ることができないほどに心が暗くなり、神を見ることができないほどに目がくらみ、み声を聞くことができないほどに耳がにぶくなっていないかぎり、人は、その深い意味を理解し、み言葉の崇高な …

255 キリストの実物教訓, p. 1197.7 (Ellen Gould White)

… た。聖霊の光をいつでも心に受ける用意をしながら、神のみ言葉を研究する者は、決してその意味がわからないということはない。「神のみこころを行おうと思う者であれば、だれでも、わたしの語っているこの教が神からのものか、それとも、わたし自身から出たものか、わかるであろう」(ヨハネ7:17 …

256 キリストの実物教訓, p. 1201.4 (Ellen Gould White)

サタンは、さまざまな悪がしこい方法と熱心さをもって、神の聖霊の働きを妨げる。キリストが愛をもって魂を引き寄せようとなさると、サタンは、救い主を求めてくる者の心を他へそらし、世的な計画に没頭させようとする。また、批評非難の気持ちを起こさせ、疑惑と不信の心をいだかせる。説教者の用語や態度に聴衆が満足しないような場合は、その欠点ばかりが気になるようにしてしまうのである。こうして、彼らが必要としている真理と、神の豊かな恵みも、なんらの永続的印象を心に残さないのである。

257 キリストの実物教訓, p. 1202.5 (Ellen Gould White)

神に仕えていると言いながら、神に関する体験的知識を持っていない者が多い。神のみこころを行いたいという願いも、ただ一時の気まぐれによるもので、心が聖霊に深く感動したためではない。彼らの行動は、神の律法と一致していない。口ではキリストを救い主として信じると言いながら、キリストが彼らに罪に打ち勝つ力をお与えになることを信じない。彼らは、生きた救い主と個人的接触がなく、彼らの品性は、先天的、および後天的欠陥を示している。

258 キリストの実物教訓, p. 1202.6 (Ellen Gould White)

聖霊は、力ある働きをなさるとばく然と認めることと、悔い改めを促す譴責(けんせき)者として、聖霊の働きを受け入れることとは、全然別のことである。多くの者は、自分たちが神から離れ、自己と罪との奴隷になっていることを自覚している。そして、改革しようと努力するのではあるが、自己を十字架につけない。

259 キリストの実物教訓, p. 1203.9 (Ellen Gould White)

… に聖霊が活動しないならば、古い習慣が生活の中に現れてくる。口では福音を信じると言ってみても、そう公言している福音によって清められていなければ、なんの役にもたたない。もし、彼らが罪に勝利していないならば、罪が彼らに勝利しているのである。ただ刈っただけで、根がぬかれていない …

260 キリストの実物教訓, p. 1205.6 (Ellen Gould White)

… て、聖霊の導きの声を認めたり、また、サタンの策略を見破ることができないまでに鈍くなった。危険にさらされた時、ともすると誘惑におちいり、神から離れてしまうのである。こうして、快楽を追求していく果ては、現世においても、また、来世においても破滅以外の何ものでもないのである。