各時代の大争闘
ローマ教会との最後的分離
しかしローマの命令は、影響を及ぼさずにはいなかった。投獄、拷問、剣は、服従を強いる有力な武器であった。弱く迷信的な人々は、法王の教書の前で震え GCJap 163.3
た。概して人々はルターに対して同情的ではあったが、生命を改革事業にかけることはあまりにも惜しいと思う者が多かった。万事は、ルターの事業が、今にも終わろうとすることを示すように思われた。 GCJap 164.1
しかしルターは、びくともしなかった。ローマは、彼を破門した。そして世界は、彼が死ぬか、それとも服従を強制されるかするに違いない、と思って見ていた。しかし彼は、恐るべき力をもって、教会に有罪の宣告を投げかえし、永遠に教会と分離する決意を公然と宣言した。ルターは、大勢の学生たちや博士たち、そしてあらゆる階層の一般市民たちの目の前で、法王の教書を、教会法規や教令集、また法王権を支持する文書類とともに焼き捨てた。「わたしの敵たちは、わたしの著書を焼くことによって、一般の人々の心の中での真理の働きを妨げ、彼らの魂を滅ぼそうとした。それだから、わたしも彼らの著書を焼く。重大な闘いが、今始まったのである。これまで、わたしはただ法王と遊戯をしていたに過ぎなかった。わたしは、この仕事を神の名によって始めた。それは、わたしがいなくても、神の力によって終了するであろう」 GCJap 164.2
ルターの運動の勢力の弱さをあざけった敵の非難に答えて、ルターは言った。「神の選びと召しがわたしになく、わたしを軽蔑しても神ご自身を軽蔑することになる恐れはないと、いったいだれが知り得ようか。エジプトを去ったモーセは、ただ一人であった。アハブ王の治世において、エリヤは一人であった。イザヤは、エルサレムで一人であった。エゼキエルは、バビロンにおいて一人であった。……神は、大祭司とか、他の偉大な人物を預言者に選ばれなかった。神は、たいてい、身分の低い卑しめられた人を選び、ある時は、羊飼いアモスをさえ選ばれた。各時代において、聖徒たちは、偉大な人々、王、貴族、祭司、賢者などを、命がけで譴責したのである。……わたしは、自分が預言者であるとは言っていない。しかし、彼らは、わた GCJap 164.3
しが一人であり彼らが多数であるというそのことを恐れるべきである。わたしは、自分の側に神の言葉があり、彼らの側にはないことを確信している」 GCJap 165.1
とは言うものの、ルターが教会から最終的に分離する決心をするまでには、激しい闘いを経なければならなかった。ちょうどこのころ、彼は次のように書いた。「わたしが子供の時から教えられたことを捨て去ることが、どんなに困難なことであるかを、毎日、いよいよ強く感じる。たとえ、わたしの側にわたしを支持する聖書があっても、わたしがあえてただ一人立って法王に反対し、彼を反キリストと呼ぶことは、なんとわたしを苦しめたことであろう。わたしの心の悩みは、なんと激しかったことであろう。『お前だけが正しいのか。他のすべての者は間違っているのか。結局間違っているのがお前自身で、多くの魂をお前の誤りに引き入れているとすれば、どうするのか。永遠の罰を受けるのはだれか』という法王側からたびたび聞かれた質問を、わたしは何度繰り返して自問し、心を痛めたことであろう。こうして、わたしは自分自身と闘い、サタンと闘った。そして、ついにキリストが、彼ご自身の誤ることのない言葉で、わたしの心を強め、これらの疑念に勝たせてくださったのである」 GCJap 165.2
法王は、ルターが取り消さなければ破門すると脅していたが、それが実行に移された。新しい教書が出され、ルターがローマ教会から分離したことを宣言するとともに、彼が天ののろいを受けた者であると非難した。そして、彼の教義を信じる者はみな、同じ宣告下に置かれるのであった。大いなる闘いは、いよいよ本格的に始まった。 GCJap 165.3