各時代の大争闘
聖書主義へ
ルターは、ローマからの帰国後、ウィッテンベルク大学から神学博士の学位を授けられた。今、彼は、これまでなかったほどに、自由に彼の愛する聖書の研究をすることができた。彼は全生涯を通じて、法王たちの言葉や教義ではなく、神のみ言葉を注意深く学んで、忠実に説教する、という厳粛な誓いを立てていた。彼はもはや、単なる修道士や教授ではなくて、正式の聖書解釈者であった。彼は、真理に飢え渇いていた神の群れを養う牧者として召されたのであった。キリスト者は、聖書の権威に基づいた教理以外は受け入れてはならないと、彼は断言した。この言葉は、法王至上権の、まさにその根底を危うくするものであった。この言葉には、宗教改革のきわめて重大な原則が含まれていたのである。 GCJap 145.2
ルターは、人間の理論を神のみ言葉よりも高めることの危険を認めた。彼は、恐れることなく、学者たちの思弁的な不信仰を攻撃し、長い間人々を支配してきた哲学や神学に反対した。彼は、そうした研究は無価値であるばかりか有害であると公然と非難し、聴衆の心を哲学者や神学者の詭弁から引き離して、預言者と使徒たちが示した永遠の真理に向けようと努めた。 GCJap 146.1
彼の言葉を熱心に聞いていた群衆にとって、彼の伝えた使命は実に貴いものであった。彼らは、今まで、このような教えを聞いたことがなかった。救い主の愛の福音、彼の贖罪の血による赦しと平和の確証は、彼らの心に喜びを与え、不滅の希望を持たせた。ウィッテンベルクにおいて点じられた光は全地に広がり、時の終わりまで、その輝きを増すのであった。 GCJap 146.2
しかし、光と闇とは調和することができない。真理と誤謬との間には、抑えることのできない戦いがある。その一方を支持して擁護することは、もう一方を攻撃して打ち倒すことである。救い主ご自身も、次のように言われた。「地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである」(マタイ10章34節)。ルターは、宗教改革が始まってから数年後に、次のように言った。「神は、わたしを導かれるのではなくて、わたしを前に押し出される。神はわたしを連れ去られる。わたしは、自分ではどうにもならない。わたしは静かに暮らしたいと思うのに、騒ぎと革命の中に投げこまれる」。彼は今まさに、戦いの中へと駆り立てられようとしていた。 GCJap 146.3
ローマ教会は神の恵みを商品にしていた。両替人の台が祭壇のそばに置かれた(マタイ21章12節参照)。そして、売買する者の声がやかましく響いた。ローマに聖ペテロ教会を建設するための資金募集という名目 GCJap 146.4
のもとに、法王の権威によって免罪符(贖宥状)が公然と売り出された。神を礼拝するための会堂が、犯罪の代価をもって建てられ、その礎石が、不義の価をもって置かれようとしていた。しかし、ローマの勢力拡大の手段そのものが、ローマの権力と勢力に対して致命的打撃を与えるものとなった。そして、これが、法王制に対する最も手ごわい強敵を呼び起こし、法王の座を動揺させてその頭上から三重冠をつき落とすような戦いを招いたのであった。 GCJap 147.1