各時代の大争闘
賛美の大合唱
各時代において、救い主の選びを受けた人々は、試練の学校で教育され、訓練された。彼らは、地上ではせまい道を歩んだ。彼らは苦難の炉で清められた。彼らは、イエスのために、反対、憎悪、中傷に耐えた。彼らは、激しい争闘の中でイエスに従った。彼らは、自己犠牲に耐え、苦い失望をも経験した。彼らは、自分自身の悲痛な経験によって、罪の邪悪さを知り、その力、そのとが、その悲惨を知った。そして彼らは、罪を嫌悪する。彼らは、自分たちが罪から救い出されるために払われた無限の犠牲を悟る時に、おのずから心はへりくだり、堕落したことのない者たちには味わうことのできない感謝と賛美に、心が満たされるのである。彼らは、多く赦されたゆえに、多く愛するのである。彼らは、キリストの苦難に共にあずかったことによって、彼の栄光にも共にあずかるにふさわしい者とされるのである。 GCJap 753.2
神の相続人たちは、屋根裏、あばらや、牢獄、刑場、山々、砂漠、地のほら穴、海の洞窟などから出てきた。彼らは、この地上では、「無一物になり、悩まされ、苦しめられた」。幾百万という人々が、サタンの欺瞞的主張に服することを断固として拒んだために、汚名を着せられて墓にくだっていった。 GCJap 754.1
彼らは、人間の法廷において、最悪の犯罪人であると宣告された。しかし今、「神はみずから、さばきぬし……である」(詩篇50篇6節)。今、地上の判決はくつがえされる。神は、「その民のはずかしめを……除かれる」(イザヤ書25章8節)。「彼らは『聖なる民、主にあがなわれた者』ととなえられ」る。主は「灰にかえて冠を与え、悲しみにかえて喜びの油を与え、憂いの心にかえて、さんびの衣を与え」られる(同62章12節、61章3節)。彼らは、もはや、弱く、苦しめられ、追い散らされ、圧迫される人々ではない。これからは、彼らはいつまでも主とともにいるのである。彼らは、地上のどんな栄誉ある人も着たことのない美しい衣を着て、み座の前に立つ。彼らは、地上のどんな王もかぶったことのない輝かしい王冠をかぶる。痛みと嘆きの時は、永遠に過ぎ去った。栄光の王が、すべての者の顔から涙をぬぐいとってくださった。悲しみの原因はすべて取り去られた。彼らは、しゅろの枝を振りかざしながら、美しく澄んで調和のとれた賛美の歌を歌い出す。すべての者が、その調べに和して歌い、賛美の歌は、天の丸天井に満ちあふれるのである。「救は、御座にいますわれらの神と小羊からきたる」。天の住民はみな、この賛美の言葉に答える。「アァメン、さんび、栄光、知恵、感謝、ほまれ、力、勢いが、世々限りなく、われらの神にあるように、アァメン」(黙示録7章10、12節)。 GCJap 754.2