各時代の大争闘
ブリテン(イギリス)のキリスト教会
大ブリテンでは、原始キリスト教が早くから根を下ろしていた。最初の二、三世紀にブリトン人たちが受けた福音は、まだローマの背教によって腐敗してはいなかった。この遠方の国にまで及んだ異教の皇帝たちによる迫害は、ブリテンの初期の教会がローマから受けた唯一の贈り物であった。すなわち、多くのキリスト者たちは、イングランドでの迫害を逃れてスコットランドに避難し、これによって真理は、アイルランドにも伝えられた。そしてこれらの国々では、どこでも歓迎されたのであった。 GCJap 72.2
ところが、サクソン人がブリテンに侵入した時、異教が支配権を握った。征服者たちは、自分たちの奴隷から教えられることを好まなかったので、キリスト者たちは、山や荒野に避難しなければならなかった。し かし、光は、一時隠されたにしても、常に燃え続けた。一世紀の後、スコットランドでは、その光は明るく輝き出て遠くの国々にまで及んだ。アイルランドからは、敬虔なコルンバとその共労者たちがあらわれ、各地に離散した信者をアイオナの孤島に集めて、そこを彼らの伝道活動の中心にした。これらの伝道者の中には、聖書に示された安息日を守る者もいて、こころしてこの真理が人々に伝えられた。また、アイオナ島に学校が設立され、ここから、スコットランド、イングランドだけでなく、ドイツやスペインやイタリアにまで、伝道者が送られた。 GCJap 72.3
しかし、ローマはブリテンに目をつけ、これを自分の支配下に置こうと決心した。六世紀に、ローマ教会の宣教師たちは、異教のサクソン人を改宗させようと企てた。彼らは誇り高き異教徒たちから歓迎され、幾千という人々をローマ教に改宗させた。働きが進展するにつれて、法王教の指導者たちと改宗者たちは、初代教会の流れをくむキリスト者たちに出会った。そこには著しい相違があった。前者が法王教の持つ迷信的で華美で尊大な性格をあらわしていたのに対し、後者は、単純で謙遜で、品性においても教義においても態度においても、聖書的であった。 GCJap 73.1
ローマの使節たちは、これらのキリスト教会に、法王の至上権を認めることを要求した。ブリトン人は、自分たちはすべての人を愛したいと思う、しかし法王は教会における至上権を与えられたわけではないのだから、自分たちとしては、すべてのキリスト者たちに対してすべき服従を、法王に対してもなすことができるだけであると、柔和に答えたのであった。彼らがローマに対して忠誠を尽くすようにさせようとする試みが繰り返された。しかし、これらの謙遜なキリスト者たちは、ローマ教会の使節たちの傲慢な態度に驚き、自分たちはキリスト以外のだれをも主として認めないと、断固として答えた。ここにおいて、法王制の真の 精神があらわされた。すなわちローマの指導者は、次のように言ったのである。「平和をもたらす兄弟たちを受け入れないなら、戦いをもたらす敵を迎えることになろう。われわれと一致してサクソン人に生命の道を示さないなら、彼らから死の打撃を受けるであろう」。これは口先だけの脅しではなかった。戦争と陰謀と欺瞞とが、聖書の信仰の証人たちに向けられ、ついにブリトン人の諸教会は破壊され、あるいは法王の権威に余儀なく屈した。 GCJap 73.2