各時代の大争闘
真の安息日の回復
創造主の休息と祝福とによって聖別された安息日は、罪を犯さないアダムが聖なるエデンにおいて守ったものであり、また、堕落したが悔い改めたアダムが、楽園を追放された後も守ったものであった。安息日は、アベルから義人ノア、アブラハム、ヤコブに至るすべての家長たちが守った。選民がエジプトに奴隷になった時、多くの者は、広く行き渡っていた偶像礼拝のただ中で、神の律法の知識を忘れた。しかし、主は、イスラエルを救い出された時、集まった群衆に、大いなる威光の中で、ご自分の律法を宣言された。それは彼らが神のみこころを知り、永遠に神をおそれ神に従うためであった。 GCJap 518.2
その時から現在に至るまで、神の律法に関する知識は地上で保たれ、第四条の安息日は守られてきた。「不法の者」が、神の聖日を踏みにじりはしたが、その至上権時代にあっても、ひそかなところに隠れて、忠実な人々が安息日を尊んでいた。宗教改革以後、いつの時代においても、だれかが安息日を守り続けていた。しばしば非難と迫害のただ中にあっても、神の律法の不変性と、創造の安息日を聖く守るべきこととが、絶えずあかしされてきた。 GCJap 519.1
これらの真理は、黙示録14章において「永遠の福音」と関連して示されているように、再臨の時のキリストの教会の特徴である。なぜなら、三重の使命が伝えられる結果として、「ここに、神の戒めを守り、イエスを信じる信仰を持ちつづける聖徒の忍耐がある」と言われているからである。そして、この使命は、主の再臨に先立って伝えられる最後のものである。これが宣布されたあと、直ちに、人の子が地の収穫を刈るために栄光のうちに来られるのを、預言者は見たのである。 GCJap 519.2
聖所と神の律法の不変性とについての光を受けた人々は、彼らが理解した真理の体系の美と調和を見て、喜びと驚きに満たされた。彼らは、非常に貴重なものに思われたその光を、すべてのキリスト者たちに伝えたいと願った。そして、それが喜んで迎えられるものと信じて疑わなかった。しかし、人々をして世と異なったものにする真理は、キリストの弟子であると称する多くの者に、歓迎されなかった。第四条への服従は犠牲を要求するものであり、大部分の者はこれに背を向けたのであった。 GCJap 519.3