各時代の大争闘

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使命を拒んだ人々

しかし、一般の教会は、警告を受け入れなかった。「イスラエルの家」を見守る者として、まず最初にイエスの再臨のしるしを認めるはずであった牧師たちは、預言のあかしからも、時のしるしからも、真理を学ぶことができなかった。彼らの心は、世俗的な望みと野心に満ち、神に対する愛と神の言葉に対する信仰は、冷たくなっていた。そして、再臨の教義が示された時に、それはただ偏見と不信をかきたてるだけであった。この使命が、だいたいにおいて一般信徒によって説教されたことが、それに反対する理由としてあげられた昔のように、神の言葉の明白なあかしは、「役人たちやパリサイ人たちの中で、ひとりでも信じた者があっただろうか」と問われるのであった。 GCJap 435.3

そして、預言的期間に基づく議論に反論することは非常に困難であるのに気づいた多くの者は、預言の書は封じられたものであって理解できないと教えて、預言の研究を思いとどまらせた。多くの者は、牧師を絶対的に信頼して、警告に耳を傾けることを拒んだ。他の者たちは、真理であると自覚はしても、「会堂から追い出」されることを恐れて、信仰を告白しなかった。神が教会を試み、清めるために送られた使命は、キリストよりはこの世を愛する人々の数がどんなに多いかということを、あまりにも明白に示した。彼らを地に結びつけるきずなは、彼らを天に引きつけるものより強力であった。彼らは、世俗の知恵の声に耳を傾けることを選び、心をさぐる真理の使命に背を向けたのである。 GCJap 436.1

彼らは、第一天使の使命を拒否することにより、神が彼らの回復のために備えられた手段を拒絶した。彼らは、彼らを神から隔てている悪を矯正したはずの恵みの使者をはねつけ、ますます熱心に世との交わりを求めた。一八四四年の教会内における、世俗化、背教、霊的死という恐るべき状態の原因は、実にこれであった。 GCJap 436.2