各時代の大争闘
再臨のメッセージに対する反響
ほとんどの都市で、何十人という人々が彼の説教の結果悔い改め、あるところでは、何百人もの者が悔い改めた。多くのところで、プロテスタント諸教会のほとんどすべての教派が彼に扉を開き、いくつもの教派の牧師たちから説教の招待が来るのが普通であった。彼は、招かれたところでだけ働くことにしていたが、まもなく、続々と来る招待の半分にも応じきれなくなった。再臨の正確な時期に関する彼の見解に同意しない人々も、キリストの再臨が確実なことであって、しかも切迫していること、そして自分たちの準備が必要なことについては、納得した者が多かった。大都市のいくつかにおいて、彼の働きは著しい影響を及ぼした。酒類の販売業者が商売をやめて、店を集会所にした。賭博場が廃止された。無神論者、理神論者、普遍救済論者たち、また、最も身持ちの悪い道楽者までが改心し、その中には、長年教会に来ていなかった者たちもいた。種々の教派が各地において、ほとんど毎時間祈祷会を持ち、実業家たちは正午に、祈りと賛美のために集まった。といっても別に、狂気じみた興奮などはなく、人々の心にあったのは厳粛な思いであった。彼の働きは、初期の宗教改革者たちの働きのように、単に感情を動かすのではなくて、理解力に訴えて良心を目覚めさせるものであった。 GCJap 382.1
ミラーは、一八三三年、彼の属していたバプテスト教会から、説教をする許可証を受けた。彼の教派の多数の牧師も彼の働きを承認し、彼が働きを継続することを正式に認めたのである。彼は、その個人的活動は主としてニュー・イングランド地方と中部諸州に限られていたが、絶えず旅行しては説教した。数年間は、彼は費用を全部自弁していた。また後になっても、招かれたところへの旅費を決して十分には受けなかった。こうして、彼の公の活動は、金銭上の恩恵を受けることからはほど遠く、彼の財産に重い負担となり、彼の生涯のこの時期に次第に減少した。彼は大家族の父であったが、彼らはみな質素で勤勉であったので、彼の農園は、彼と彼らを十分支えることができたのである。 GCJap 382.2