各時代の大争闘

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年代に関する預言の解釈

以上の聖句と他の聖句によって、キリスト再臨前に起こると一般に期待されていた世界的な平和の治世、地上における神の国の樹立といったことは、再臨に続いて起こるものであることが、ミラーの心に明らかになった。さらに、すべての時のしるしと世界の状態は、最後の時代についての預言的描写と一致していた。彼は、聖書だけの研究によって、地球が現在の状態のままで継続するように定められた期間は、まさに終わろうとしているという結論に達せざるをえなかった。 GCJap 371.2

ミラーは、次のように言っている。「もう一つ真にわたしの心に感動を与えた証拠は、聖書の年代であった。……過去において成就した預言の出来事は、しばしば定められた期間内に成就したということを、わたしは見いだした。洪水までには、一二〇年(創世記6章3節)。洪水に先立つ七日間、そして、預言された雨が四〇日間(同7章4節)。アブラハムの子孫の四〇〇年の寄留(同15章13節)。給仕役の長と料理役の長の夢の中の三日(同40章12~20節)。パロの夢の七年(同41章28~54節)。荒野の四〇年(民数記14章43節)、三年半の飢饉(列王紀上17章1節)〔ルカ4章25節参照〕、……七〇年の捕囚(エレミヤ書25章11節)、ネブカデネザルの七つの時(ダニエル書4章13~16節)、ユダヤ人のために定められた七週と六二週と一週から成る七〇週(同9章24~27節)。―─時に区切られた出来事は、みな、かつては預言に過ぎなかったが、その預言どおりに成就したのである」 GCJap 371.3

そこで彼は、聖書の研究において、さまざまな年代的期間が、彼の理解によればキリストの再臨にまで及ぶものであることを発見した時、それらは「その時代に先だって」神がそのしもべたちにあらわされたものであると考えないわけにいかなかった。 GCJap 372.1

「隠れた事はわれわれの神、主に属するものである。しかし表わされたことは長くわれわれとわれわれの子孫に属し」とモーセは言っている。また、主は、預言者アモスによって、主は、「そのしもべである預言者にその隠れた事を示さないでは、何事をもなされない」と言われた(申命記29章29節、アモス書3章7節)。したがって、神のみ言葉の研究者は、人類歴史における最も重大な事件が、真理のみ言葉の中に明示されていることを、確信をもって期待することができるのである。 GCJap 372.2

ミラーは次のように言っている。「わたしは、聖書はすべて神の霊感を受けて書かれたものであって……有益であること(テモテ第二・3章16節)、また、預言は決して人間の意志から出たものではなく、人々が聖霊に感じ、神によって書いたものであること(ペテロ第二・1章21節)、そして、それは『すべてわたしたちの教のために書かれたのであって、それは聖書の与える忍耐と慰めとによって、望みをいだかせるためである』(ローマ15章4節)ことを十分に確信したので、聖書の年代的部分も、聖書の他の部分と同様に、神の言葉の一部であり、まじめに研究すべきものであると考えざるをえなかった。そこで、わたしは、神が慈悲深くもわれわれにあらわそうとされたことを理解しようと努めるにあたっては、預言の期間を見過ごしてはならないと感じた」 GCJap 372.3