各時代の大争闘
ベツレヘムの物語の教訓
キリストに対する期待、生命の君を迎える準備は、どこにも見られない。驚いた天使は、この恥ずべき報告をもって天に帰ろうとする。とその時、夜羊の番をしながら星空を仰ぎ、メシヤが地上に来られるという預言を瞑想し、世界の贖い主の来臨を待望している羊飼いの一群を見つける。ここに、天来の知らせを受ける用意のできた一団がいるのである。そこで、突然主の使いがあらわれて、大いなる喜びの福音を宣言する。天の栄光が平原に満ち、数えきれない天使たちがあらわれる。あたかもこの喜びは、ただ一人の天使が伝えるにはあまりにも大きすぎるかのように、大勢の声が高らかに、やがてすべての国々から贖われた者たちの歌う賛美の歌を歌う。「いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」(ルカ2章14節)。 GCJap 361.1
このベツレヘムの驚くべき物語は、なんという教訓を教えていることであろう。それはなんとわれわれの不信、高慢、うぬぼれを譴責することであろう。それは、われわれもまた、恐るべき無関心に陥って、時のしるしを見分けることができず、そのために神のおとずれの日を知らずに過ごすことがないように、注意するようにとわれわれに警告を与えている。 GCJap 361.2
天使が、メシヤの来臨を待望している人々を見つけたのは、ユダヤの丘の卑しい羊飼いたちの中だけではなかった。異教徒の国でも、彼を待っている人々があった。彼らは、高貴で富裕な賢者、東方の哲学者であった。この賢者たちは、自然の探究者であり、神のみ手のわざの中に神を認めたのである。 GCJap 361.3
ヘブルの聖書から、彼らは、ヤコブから星があらわれることを学び、「イスラエルの慰め」であるばかりでなく、「異邦人を照す啓示の光」であり、「地の果までも救をもたらす」おかたが来られるのを熱心に待望していた(ルカ2章25、32節、使徒行伝13章47節)。彼らは光を求めていた。そして、神のみ座からの光が彼らの歩く道を照らした。真理の擁護者、また解説者として任じられたエルサレムの祭司や教師たちが、暗黒に閉ざされていた時に、天からの星はこれら異邦の旅人を、新たにお生まれになった王の誕生地へと導いたのである。 GCJap 361.4