各時代の大争闘

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福音の戦士としての登場

彼は、聖書の中にキリストを発見した。「ああ父よ、彼の犠牲は、あなたの怒りをしずめ、彼の血は、わたしの汚れを洗い去り、彼の十字架は、わたしののろいを担いました。彼の死はわたしの贖いとなりました。わたしたちは、自分たちのために、多くの無用な愚策を考案しましたが、あなたはわたしの前に、み言葉を灯のようにかかげられました。そしてあなたは、わたしの心に触れて、イエスの功績以外のすべてのものを、忌みきらうようにしてくださいました」 GCJap 255.3

カルバンは、司祭になる教育を受けていた。彼は、わずか一二歳の時に、小さな教会の説教者に任じられ、教会の規定に従って、司教に頭髪をそってもらった。彼は按手の礼は受けず、司祭の務めはしなかったけれども聖職の一員となって、彼の務めの称号を持ち、その報酬を受けていた。 GCJap 255.4

今や、彼は、司祭にはなることができないのを知って、しばらく法律の研究にあたったが、ついにこの目的を捨てて、一生を福音のためにささげる決心をした。しかし彼は、公の教師になることはためらった。彼は生まれつき臆病だったので、そういう地位の責任を重荷に感じた。そして彼は、さらに研究を持続することを願った。しかし、友人たちが熱心に勧めるので、彼もついに同意した。「このように卑賤な生まれの者が、このように大きな栄誉ある地位に高められるとは、不思議なことだ」と彼は言った。 GCJap 256.1

カルバンは静かに彼の仕事を始めた。彼の言葉は、あたかも地をうるおす露のようなものであった。彼はすでにパリを去って、今は、福音を愛し、その弟子たちを保護していたマルグリット王女の保護下にある、田舎の町にいた。カルバンはまだ、温和でひかえめな青年であった。彼の働きは、まず郷里の人々から開始された。彼は家族の者に囲まれて、聖書を読み、救いの真理を伝えた。福音を聞いた者は、それを他に伝えたので、まもなく教師は、町を離れて、その周囲の町々村々に行った。彼は、城にも貧しい家にも入って、働きをおし進め、真理のために雄々しくあかしをすることになる諸教会の、その基礎を築いた。 GCJap 256.2

数か月後、彼はふたたびパリに来た。知識人や学者の間では、まれにみる動揺が起きていた。古代言語の研究が、人々の心を聖書に向けるようになり、その真理にまだ心を動かされていない多くの人々が、熱心にそれについて論議し、ローマ側の擁護者と論じ合いさえしていた。カルバンは、神学的論争の分野においては有能な闘士であったけれども、これらのそうぞうしい学者たちよりは、さらに大切な使命を帯びていた。人々の関心が高まっていたので、今こそ彼らに真理を伝える時であった。大学の講堂が、神学の論争で騒がしかった時に、カルバンは、家々を訪ねて、人々に聖書を読んで聞かせ、キリストと彼の十字架について語った。 GCJap 256.3