各時代の大争闘

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福音を説く

一五一六年、ツウィングリは、アインジーデルン修道院の説教者として招かれた。この地において、彼は、ローマの腐敗をいっそうつぶさに見た。そして、彼の故郷のアルプスよりもはるか遠方までも、改革者としての影響を及ぼすことになった。アインジーデルンの主要な呼び物の一つに、奇跡を行う力があると言われているマリヤ像があった。修道院の入り口の上には、「ここで罪の大赦が得られる」と書き記されていた。マリヤ像の聖堂には、年中巡礼者が集まった。しかも、毎年行われる献堂の大祭には、スイス全国は言うに及ばず、フランスやドイツからも群衆がやってきた。ツウィングリはこの光景を見て非常に心を痛め、この機会を捕らえて、迷信の奴隷になっている人々に、福音による自由を宣言したのである。 GCJap 202.2

「世界の他のところにまさって神がこの会堂におられると思ってはならない。どの国に住んでいても、神はあなたのまわりにおられて、祈りを聞かれる。……無益な苦行、長い巡礼、ささげ物、聖像、聖母マリヤや諸聖人の祈祷によって、神の恵みにあずかることができようか。……われわれの祈りの言葉が多くてもなんの役に立とうか。また、光沢のあるずきん、そった頭、長々と垂れる衣服、金で刺繍した上靴に、なんの功徳 GCJap 202.3

があるのか。……神は心を見られる。そして、われわれの心は、神から遠く離れている」「一度十字架にかけられたキリストは、永遠にわたって、信じる者の罪を十分に贖う犠牲でありいけにえであった」 GCJap 203.1

多くの聴衆にとって、このような教えは喜ばしいものではなかった。苦しい旅をしてきた者が、無益なことであったと言われることは、苦い失望であった。彼らは、キリストによって惜しみなく与えられる罪の赦しを理解することができなかった。彼らは、ローマが指示した天国への古い道で満足していた。彼らは、さらによいものを探究する労をとりたくなかった。心のきよめを求めるよりは、司祭や法王に頼って救いを得る方がやさしかった。 GCJap 203.2

しかし、他の部類の人々は、キリストによる贖いの知らせを喜んで受け入れた。ローマが命じる儀式は、心の平和を与えなかった。そこで彼らは、信仰によって、救い主の血を彼らの贖いの供え物として受け入れた。彼らは帰国して、自分たちの受けた貴い光を人々に伝えた。こうして真理は、村から村、町から町へと広がり、マリヤ聖堂に来る巡礼の数は大幅に減少した。献金額も減り、その結果そこから支給されていたツウィングリの給料も減った。しかし彼は、狂信と迷信の力が打破されたのを見て、かえって喜んだ。 GCJap 203.3

教会の当局者たちは、ツウィングリの活動に対して盲目でなかった。しかし彼らはその当座は、干渉をさしひかえた。彼らはなお、彼を自分たちの側に引き入れようとして、甘言によって彼を確保しようとした。そしてこの間に、真理が人々の心を捕らえていったのであった。 GCJap 203.4