各時代の大争闘

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第35章 良心の自由の危機

カトリックは変わったか

今日ローマ・カトリック教は、プロテスタントから、過去の時代よりもはるかに好感をもってみられている。カトリック主義が優勢ではなくて、カトリック教会が勢力を得るために融和的な態度をとっている国々においては、改革主義の教会を法王教から区別する教理に対して、ますます関心が薄らいできている。結局われわれは、主要な点では今まで考えられてきたほど広く隔たってはいない、われわれの側のわずかな譲歩によってローマとのより良い理解がもたらされるであろう、という意見が有力になってきている。高い犠牲を払って贈った良心の自由に、プロテスタントが高い価値を置いた時代があった。彼らは子供たちに法王教をきらうように教え、ローマと一致しようとすることは神に対して不忠実であると主張した。しかし今日表明される意見は、なんとはなはだしく異なっていることであろう。 GC 1872.3

法王教の擁護者たちは、この教会が中傷されてきたと言い、プロテスタント側はこの主張を認める傾向がある。多くの者は、無知と暗黒の時代に教会の統治の特徴であった憎むべき行為や不合理をもって、今日の教会をさばくのは正しくない、と主張する。彼らは法王制の恐ろしい残酷な行為を、野蛮な時代の結果であると弁解し、近代文明の影響がこの教会の考えを変えたと弁護する。 GC 1872.4

これらの人々は、この高慢な権力によって800年の間無謬説が唱えられたことを忘れてしまったのであろうか。この主張は捨てられるどころか、19世紀に入って、以前にもまして積極的に主張されたのである。ローマ教会は、「教会はこれまで決して誤ったことはなかった、また聖書によれば、これからも決して誤りを犯すことはないのである」と主張しているのだから、過去にそのやり方を支配していた主義をどうして放棄することがあるだろうか。1 GC 1872.5