各時代の大争闘

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聖所とは何か

しかし、神は、この大再臨運動において、ご自分の民を導いて来られた。神の力と栄光とが、この働きに伴っていた。神は、それが暗黒と失望に終わることを、誤った狂信的な騒ぎであると非難されることを、許してはおかれなかった。神は、ご自分の言葉を、疑いと不確かさの中にあるままにしてはおかれなかった。 GC 1794.2

多くの者が、預言の期間に関するこれまでの計算法を捨て、それに根拠を置いていた運動の正しさを否定したが、中には、聖書と神の霊のあかしとに支持された信仰と経験とを放棄しようとしない人々もいた。彼らは、自分たちの預言研究の解釈の原則は正しかったことを信じ、すでに得た真理を堅く保って、同じ聖書研究を続けることが自分たちの義務であると信もじた。熱心な祈りをもって、彼らは自分たちの立場島を再検討し、誤りを発見するために聖書を研究した。彼らは、預言の期間の計算に誤りを見つけることができなかったので、聖所の問題をもっと綿密に吟味するようになった。 GC 1794.3

研究の結果、彼らは、地上が聖所であるという一般の見解を支持する証拠が、聖書にないことを知った。しかし、聖書には、聖所とその本質、場所、奉仕などの問題が十分に説明されているのを彼らは見いだした。このことについての聖書記者たちの証言は、疑問の余地がないほど明瞭で十分なものであった。使徒パウロは、ヘブル人への手紙の中で、次のように言っている。「さて、初めの契約にも、礼拝についてのさまざまな規定と、地上の聖所とがあった。すなわち、まず幕屋が設けられ、その前の場所には燭台と机と供えのパンとが置かれていた。これが、聖所と呼ばれた。また第二の幕の後に、別の場所があり、それは至聖所と呼ばれた。そこには金の香壇と全面金でおおわれた契約の箱とが置かれ、その中にはマナのはいっている金のつぼと、芽を出したアロンのつえと、契約の石板とが入れてあり、箱の上には栄光に輝くケルビムがあって、贖罪所をおおっていた」(ヘブル9:1~5)。 GC 1794.4

パウロがここで言及している聖所は、いと高きお方の地上の住居として、モーセが神の命令によって造った幕屋のことであった。モーセは、神とともに山にいた時に、「彼らにわたしのために聖所を造らせなさい。わたしが彼らのうちに住むためである」という命令を受けた(出エジプト25:8)。イスラエル人は荒野の旅をしていたので、幕屋は、移動できるように組み立てられていた。しかしそれにしても、それは非常に壮麗な建造物であった。 GC 1794.5

その壁は、金で覆った板で造られ、銀の座にはめられていた。屋根は、数枚の幕から成り、外側は皮で、いちばん内側は、ケルビムの姿を美しく織り出した亜麻布であった。燔祭の壇は外庭にあったが、幕屋そのものは、聖所、至聖所と呼ばれる2つの部屋から成り、壮麗な幕でへだてられていた。また、同様の幕が第一の部屋の入り口にもかけられていた。 GC 1794.6

聖所には、南側に燭台があって、その7つのともし火が、昼も夜も聖所を照らしていた。北側には供えのパンの机があった。そして聖所と至聖所をへだてる幕の前に、金の香壇があって、そこから香の煙がイスラエルの祈りとともに、毎日神の前にのぼっていった。 GC 1794.7

至聖所には、貴い木で造られ、金で覆われた箱があって、その中に、神によって刻まれた十戒の2枚の石の板が入れてあった。この神聖な箱の上にあって、そのふたの役目を果たしているのが、贖罪所であった。これは、実に巧みに仕上げられたりっぱなもので、その両端にケルビムが置かれ、全部純金で造られていた。この部屋において、神の臨在が、ケルビムの間の栄光の雲の中にあらわされたのであった。 GC 1794.8