各時代の大争闘

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一般キリスト教会の堕落

このころ、米国全体のほとんどの教会に、著しい変化があらわれた。長年にわたって、世俗の風俗習慣への適合が、徐々に、しかし着実に増大し、真の霊的生活は衰退する一方であった。しかし、この年は、全国のほとんどすべての教会において、この衰退が急激で著しかった。だれもその原因を明らかにし得るものはなかったが、この事実そのものは、広く一般の認めるところで、新聞も説教壇もそれについて語った。 GC 1776.5

フィラデルフィアの長老教会の集会において、広く用いられていた注解書の著者であり、同市の主要教会の牧師であったバーンズは、「自分は20年間、牧師の働きをしてきたが、この前までの聖餐式においては、式を行うごとに必ず、多少にかかわらず教会に加わる人があった。しかし、今や、なんの覚醒もなく、悔い改めもない。信者には恵みにおける成長がなく、魂の救いについて語るために私の書斎に来るものもいない。商売が盛んになり、商業と工業が隆盛するにつれて、世俗の精神が旺盛になった。こうして、すべての教派がそうなったのだ、と述べた。」2 GC 1776.6

同年2月に、オベリン大学のフィニー教授は次のように言った。「わが国のプロテスタント教会は、一般に、現代の道徳的改革のほとんどすべてに対して、無関心であるか、さもなければ敵対心を抱いているよつに見受けられる。一部の例外はあるが、一般的傾向を覆すほどに十分なものではない。われわれは、も う1つ確かな事実を知っている。 GC 1776.7

教会内には、ほとんど全般的にリバイバルの精神が欠けている。霊的無関心がほとんどすべてを覆い、恐ろしいまでに深刻である。全国の宗教雑誌が、そう証言している。……流行の追求が広く教会員の間に行なわれ、歓楽のパーティーやダンスやお祭り騒ぎなどで、神を敬わない人々と手を握っている。……しかし、このような痛ましい問題を詳しく言う必要はない。教会が一般に悲しむべき堕落に陥りつつあることを示す証拠は、われわれの周りに山積していることだけで十分である。教会は主から遠く離れ、そして主は教会から退去された。」 GC 1777.1

『宗教展望』誌の一筆者は、次のように証言した。「われわれは、現在ほど宗教が一般に低下したのを見たことがない。真に、教会はめざめて、この悲しむべき状態の原因をつきとめなければならない。なぜなら、シオンを愛するすべての者が、現状をまことに悲しむべき状態と見ているに相違ないからである。真に悔い改める者の数が、いかに『少なく、まれ』であるかを考え、また、罪人がかってなかったほどに神を恐れずかたくなであることを思う時に、われわれは、『神は恵み深くあることを忘れられたのか。あるいは、恵みの戸は閉じられたのか』と、思わず叫ばずにはおられない。」 GC 1777.2

このような状態は、教会自身に原因がなくして起こるものではない。国家、教会、また個人が陥る霊的暗黒は、神の側で独断的に恵みの助けを取り除かれるのではなくて、人間の側で、神からの光をないがしろにしたり、拒否したりすることによるのである。この事実の著しい例は、キリストの時代のユダヤ人の歴史に示されている。彼らは、世俗に従い、神と神の言葉を忘れたために、彼らの理解力は暗くなり、彼らの心は、この世的で肉欲的になった。こうして彼らは、メシヤの来臨を知らず、誇りと不信によって、贖い主を拒否した。それでも神は、ユダヤ民族が救いの祝福を知って、それにあずかることから除外されなかった。しかし、真理を拒否したものは、天の賜物を得たいという願いを全く失ってしまった。彼らは、「悪を呼んで善といい、善を呼んで悪といい」、ついに、彼らのうちにあった光も暗くなった。そして、その暗黒は、なんと大きかったことであろう。 GC 1777.3