各時代の大争闘

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ティンダルの偉大な事業

彼は、新しい目的を心に抱いた。「イスラエルが主の宮で詩篇を歌ったのは、イスラエルの国語によってであった。それではわれわれの間で、福音が英語で語られてはいけないであろうか。……教会では、明けがたよりも真昼の光の方が弱くてよいであろうか。……キリスト者は、母国語で新約聖書を読まなければならない」と彼は言った。教会の博士たちや教師たちの意見は、互いに異なっていた。人々は、ただ聖書に基づいてのみ、真理を知ることができる。「ある者は、この博上を信じ、他の者は、別の博士を信じる。……これらの著者たちは、互いに他を否定する。それでは、正しいことを言う人と誤ったことを言う人とは、どのようにして区別することができようか。……それは真に、神の言葉によってである。」3 GC 1711.2

その後まもなく、学識あるカトリックの博士が、彼と論争して叫んだ。「われわれは、法王の法律を廃するよりは、神の律法を廃したほうがよい。」ティンダルは答えた。「わたしは、法王と彼のすべての法律を無視する。そして、もし神がわたしの生命を長らえさせてくださるならば、わたしは幾年もたたぬうちに、農業に従事する少年が、あなたよりももっと聖書のことを知るようにするであろう。」4 GC 1711.3

人々に自国語の新約聖書を与えるという、ティンダルが心に抱き始めた計画は、今や確固たるものとなり、彼は直ちにその仕事に取りかかった。彼は迫害のために家を追われ、ロンドンへ行って、そこでしばらくじゃまされずに仕事に従事した。しかし彼は、ふたたび法王側の人々の暴行によって、逃げなければならなかった。イギリス全国が、彼に対して閉じられたように思われたので、彼はドイツに隠れ家を求める決心をした。ここで彼は、英語の新約聖書を印刷しはじめた。仕事は2度も妨害された。しかし、1つの町で印刷を禁じられると、彼は次の町へ行った。ついに彼は、ウォルムスに向かったが、ここは数年前に、ルターが国会において福音を擁護した所であった。この古い町には、宗教改革の多くの支持者たちがいたので、ティンダルはその後なんの妨害もなく、仕事を継続することができた。間もなくここで3000冊の新約聖書が完成し、同じ年に第2版も発行された。 GC 1711.4

彼は、非常な熱心と忍耐をもって、仕事を続けた。英国当局が各港を厳重に監視していたにもかかわらず、神の言葉は、さまざまな方法で、ひそかにロンドンに運ばれ、そこから全国に配布された。法王側は真理を圧迫しようとしたが、むだであった。ある時ダラムの司教はティンダルの友人であった書籍販売人から、彼が持っているだけの聖書を買い取った。これは聖書を焼き捨てるためで、そうすれば、改革事業を大いに妨害することができると考えたからであった。ところが、こうして得た金で、新しいよりよい版のための材料を買うことができた。もし、これがなければ、その出版はできなかったのである。後に、ティンダルが捕らえられた時、彼は、聖書の印刷費を援助した人々の名を明かせば、自由にすると言われた。彼は、ダラムの司教が、他のだれよりも多くの援助をしたと答えた。それは、司教が手もとに残っている聖書を 高い値段で買ってくれたために、彼は、勇気をもって仕事を継続することができたからであった。 GC 1711.5

ティンダルは、裏切られて敵の手に渡され、一時何か月もの間牢獄に入れられた。彼はついに、殉教の死を遂げて信仰のあかしを立てた。しかし、彼が用意した武器は、今日に至るまで幾世紀にわたって、他の兵士たちの戦闘を可能にしたのである。 GC 1712.1