患難から栄光へ

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第9章 組織と指導者

本章は使徒行伝6:1~7に基づく AA 1388.5

「そのころ、弟子の数がふえてくるにつれて、ギリシャ語を使うユダヤ人たちから、ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して、自分たちのやもめらが、日々の配給で、おろそかにされがちだと、苦情を申し立てた」。 AA 1388.6

初代教会は、多くの階級や、さまざまの異なる国籍の人々で構成されていた。ペンテコステ(五旬節) の聖霊降下の時にエルサレムには、天下のあらゆる国々から、信仰深いユダヤ人たちがきて住んでいた」(使徒行伝2:5)。エルサレムに集まってきたヘブル人の信仰をいだく者たちの中に、ふつうギリシャ人として知られている人々がいた。彼らとパレスチナのユダヤ人の間には長い間、不信があり、敵意さえ生じていた。 AA 1388.7

使徒たちの働きの結果改宗した人々の心は、クリスチャンの愛によって和らげられ、1つになった。以前には偏見をいだいていたにもかかわらず、誰もが互いに仲よくなった。サタンはこの一致が継続するかぎり、福音真理の進展を阻むことができないことを知っていたので、人々の以前の考えかたを利用して、それによって教会に不和の分子をもたらそうとした。 AA 1389.1

こうして、弟子たちの数が増していくにつれて、敵は、以前からしばしば信仰を持つ兄弟たちをねたましい思いで見つめ、霊的指導者たちのあらさがしをしていたことのある者たちの心に、疑いの気持ちをかき起こすことに成功した。そして「ギリシャ語を使うユダヤ人たちから、ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して……苦情を申し立てた」。つぶやきの原因は、ギリシャ語を使うやもめたちが日々の配給でおろそかにされがちだと、苦情を申し立てたことにあった。どんな不平等でも福音の精神に反するのは確かなのだが、その主張のかげですでにサタンは疑いの気持ちをかきたてることに成功していた。いまや、不満を引き起こすすべてのきっかけを除くために、速やかな処置を講じなければならない。さもないと敵の努力が実って、信者たちの間に分裂を招くことになる。 AA 1389.2

イエスの弟子たちはすでに、彼らの信仰経験における1つの危機に直面していた。聖霊の力により、固く一致して働いていた使徒たちの賢明な指導のもとに、福音の使命者にゆだねられた事業は速やかに進展していた。教会は絶えず拡張していた。信者の数が増えるにつれて、責任のある人々の重荷は重くなる一方だった。人が1人で、いや、仲間が数人集まっても、彼らだけでこれらの重荷を担っていこうとすれば、教会の将来の繁栄は危うくなるであろう。そこで教会の初期のころ、わずかな人々が忠実に負ってきた責任の分担が、これからは必要となった。今や使徒たちはそれまで自分たちだけでささえてきた責任の一部を、他の人たちに任せることによって、教会内の組織を完全にする大切な手段を講じなければならなかった。 AA 1389.3

聖霊に導かれた使徒たちは、信者を集めて、教会のあらゆる活動力をさらに組織だてる計画のあらましを話した。教会を監督している霊的指導者らは、貧しい人々に配給するというような仕事をのがれて、福音宣伝事業の前進に専念すべき時がきたのだと、彼らは説明した。「そこで、兄弟たちよ、あなたがたの中から、御霊と知恵とに満ちた、評判のよい人たち7人を捜し出してほしい。その人たちにこの仕事をまかせ、わたしたちは、もっぱら祈と御言のご用に当ることにしよう」と彼らは言った。この提案がきかれ、選出された7人の上に手が置かれて、祈りがささげられ、彼らは厳粛に執事としての務めに任命された。 AA 1389.4

この特別な仕事を監督するために7人が任命されたことは、教会に大きな祝福となった。この役員たちは教会の全般的な財政面だけでなく、個人の必要を慎重に考慮した。そしてその賢明な管理と敬虔な模範によって、教会の各方面の利害関係を統一して全体にまとめる上に、共労者たちの大切な助けとなった。 AA 1389.5

この方法が神のみむねにかなっていたことは、すぐによい結果があらわれたことでわかる。「神の言は、ますますひろまり、エルサレムにおける弟子の数が、非常にふえていき、祭司たちも多数、信仰を受けいれるようになった」。この魂の収穫は、使徒たちがいっそう自由に活動できたことと、7人の執事が熱意と力を示したおかげであった。これらの兄弟たちは、貧しい人々の必要をかえりみるという特殊な務めをゆだねられたといっても、信仰の教えを説かないでよいわけではなかった。それどころか、彼らは他の人々に真理を教える十分な資格があり、実際熱心にこの働きに携わって成功をおさめたのである。 AA 1389.6

初代教会には、みわざを絶えず拡張する仕事がゆだねられていた。それは、キリストへの奉仕に進んで 献身する正直な人々のいるところには、どこにでも光と祝福の中心を設けることであった。福音宣伝の範囲は世界的なものでなければならなかった。十字架の使命者たちはクリスチャンの一致のきずなで結ばれ、こうして彼らが、神にあってキリストと1つであるということを世に示さないかぎり、彼らの大切な使命を達成することは望めなかった。彼らの指導者である主は、み父に、「わたしに賜わった御名によって彼らを守って下さい。それはわたしたちが1つであるように、彼らも1つになるためであります」とお祈りにならなかっただろうか。また、弟子たちについて「世は彼らを憎みました……彼らも世のものではないからです」と言われなかっただろうか。「彼らが完全に1つとなるため」に、「あなたがわたしをおつかわしになったことを、世が信じるようになるため」にみ父に熱心に求められなかっただろうか(ヨハネ17:11、14、23、21)。彼らの霊的生活と力は、福音を伝える使命をゆだねて下さったお方と、いかに親しくつながっているかにかかっているのである。 AA 1389.7

弟子たちは、キリストにつながっていた時にのみ、聖霊の力を受けて、天使たちの協力を期待することができた。このような天来の力の助けを受けて、彼らは世に対して共同戦線をはることができ、また彼らが暗黒の力にたえまなく立ち向かうことを強いられている戦いにおいて、勝利することができた。弟子たちがたえず結束して働いているかぎり、天使たちは彼らを先導し、道を開くのである。そして人々の心は真理を受け入れる準備をし、多くの者がキリストへと導かれる。彼らが結束しているかぎり、教会は「月のように美しく、太陽のように輝き、恐るべき事、旗を立てた軍勢のよう」に前進したのである(雅歌6:10)。何ものも教会の前進に逆らうことはできなかった。教会はこの世に福音を宣伝する天来の使命を立派に果たし、勝利から勝利へ進むのである。 AA 1390.1

エルサレムの教会の組織は、真理の使者が改宗者を福音に導くところではどこででも、教会組織の型となるべきであった。教会全体の監督の責任をゆだねられたものは、神の教会の上に立って尊大にふるまってはならない。かえって、賢明な羊飼いとして「神の羊の群れを牧し……群れの模範となるべきであ」った(Ⅰペテロ5:2、3)。また執事は「みたまと知恵とに満ちた、評判のよい人」でなければならなかった。これらの人々は一致してその地位を正しく保ち、かたい決意のもとに任務を遂行しなければならなかった。こうして彼らの感化のもとに教会全体は一致した。 AA 1390.2

初代教会の歴史において、のちに、世界の各地で信者たちの多くのグループによって教会がつくられたとき、秩序と一致した行動とが保たれるように、教会の組織がいっそう完成された。教会員はみな自分の立場を尽くすようにすすめられた。誰でもみな、自分にゆだねられているタラントを賢明に用いなければならなかった。中には聖霊によって特別な賜物をさずけられている者もあった。「第一に使徒、第二に預言者、第三に教師とし、次に力あるわざを行う者、次にいやしの賜物を持つ者、また補助者、管理者、種々の異言を語る者」である(Ⅰコリント12:28)。しかしこれらすべての種類の働き人は、一致して働かなければならなかった。 AA 1390.3

「霊の賜物は種々あるが、御霊は同じである。務は種々あるが、主は同じである。働きは種々あるが、すべてのものの中に働いてすべてのことをなさる神は、同じである。各自が御霊の現れを賜わっているのは全体の益になるためである。すなわち、ある人には御霊によって知恵の言葉が与えられ、ほかの人には、同じ御霊によって知識の言、またほかの人には、同じ御霊によって信仰、またほかの人には、1つの御霊によっていやしの賜物、またほかの人には力あるわざ、またほかの人には預言、またほかの人には霊を見わける力、またほかの人には種々の異言、またほかの人には異言を解く力が、与えられている。すべてこれらのものは、1つの同じ御霊の働きであって、御霊は思いのままに、それらを各自に分け与えられるのである。からだが1つであっても肢体は多くあり、また、からだのすべての肢体が多くあっても、からだは1つであるように、キリストの場合も同様である」(Ⅰコリン ト12:4~12)。 AA 1390.4

地上の神の教会において、指導者として行動するように召されている人々に負わされている責任は、厳粛である。神権政治の時代に、モーセは重い責任を1人で負っていて、まもなくその重荷に疲れ果ててしまうだろうと思われた時、エテロから、その責任を賢く分担するようにと教えられた。「あなたは民のために神の前にいて、事件を神に述べなさい。あなたは彼らに定めと判決を教え、彼らの歩むべき道と、なすべき事を彼らに知らせなさい」とエテロは助言した。エテロはさらに、人を選び「1000人の長、100人の長、50人の長、10人の長としなさい」と勧めた。この人たちは「有能な人で、神を恐れ、誠実で不義の利を憎む人」でなければならなかった。彼らは「平素は……民をさば」き、こうしてモーセの重荷を解き、気疲れとなる多くの小事件を神に献身している助力者たちが賢くさばいた。 AA 1391.1

教会で、神の摂理のもとに、重責を負う地位にいる人々の時間と力は、特別な知恵と幅の広い心を必要とする重大な問題を処理するために、費やされなければならない。ほかの人たちでも十分に処理できる取るに足りない問題の調停を、そのような人々が依頼されることは神のみむねではない。「大事件はすべてあなたの所に持ってこさせ、小事件はすべて彼らにさばかせなさい。こうしてあなたを身軽にし、あなたと共に彼らに、荷を負わせなさい。あなたが、もしこの事を行い、神もまたあなたに命じられるならば、あなたは耐えることができ、この民もまた、みな安んじてその所に帰ることができよう」とエテロはモーセに提案した。 AA 1391.2

この提案に従い、「モーセはすべてのイスラエルのうちから有能な人を選んで、民の上に長として立て、1000人の長、100人の長、50人の長、10人の長とした。平素は彼らが民をさばき、むずかしい事件はモーセに持ってきたが、小さい事件はすべて彼らみずからさばいた」(出エジプト18:19~26)。 AA 1391.3

のちにモーセは、指導者としての責任を分担してもらうために70人の長老を選出したとき、彼の助力者として品位があり、正しい判断力を持ち、経験のある人を慎重に選んだ。これらの長老たちに按手礼をさずけるにあたり、モーセは教会における賢明な指導者になるのにふさわしい資格を述べた。「兄弟たちの間の訴えを聞き、人とその兄弟、または寄留の他国人との間を、正しくさばかなければならない。あなたがたは、さばきをする時、人を片寄り見てはならない。小さい者にも大いなる者にも聞かなければならない。人の顔を恐れてはならない。さばきは神の事だからである」とモーセは言った(申命記1:16、17)。 AA 1391.4

ダビデ王はその治世の終わりにあたり、彼の時代に神のみわざに携わっていた人々に、厳粛な命令を下した。「イスラエルのすべての長官、すなわち部族の長、王に仕えた組の長、1000人の長、100人の長、王とその子たちのすべての財産および家畜のつかさ、宦官、有力者、勇士などをことごとくエルサレムに召し集め」て、「主の会衆なる全イスラエルの目の前およびわれわれの神の聞かれる所で」年老いた王は厳かに彼らに命じた。「あなたがたはその神、主のすべての戒めを守り、これを求めなさい」(歴代志上28:1、8)。 AA 1391.5

統率の責任ある地位につく者としてのソロモンに、ダビデは特別に命じた。「わが子ソロモンよ、あなたの父の神を知り、全き心をもって喜び勇んで彼に仕えなさい。主はすべての心を探り、すべての思いを悟られるからである。あなたがもし彼を求めるならば会うことができる。しかしあなたがもしかれを捨てるならば彼は長くあなたを捨てられるであろう。それであなたは慎みなさい。主はあなたを選ん」だ、「心を強くして」いなさい(歴代志上28:9、10)。 AA 1391.6

モーセやダビデの時代に、神の民の中で指導者を導いた同じ敬虔な正義の原則は、福音による律法の時代に、新たに組織された神の教会を監督する人々によっても、受け継がれなければならなかった。すべての教会において物事をきちんと整え、役員として働くにふさわしい人々を任命するにあたって、使徒たちは旧約聖書に述べられている、指導者の高い標準を固く守った。彼らは、教会で指導的な責任のある地 位につく者は「神に仕える者として、責められる点がなく、わがままでなく、軽々しく怒らず、酒を好まず、乱暴でなく、利をむさぼらず、かえって、旅人をもてなし、善を愛し、慎み深く、正しく、信仰深く、自制する者であり、教にかなった信頼すべき言葉を守る人でなければならない。それは、彼が健全な教によって人をさとし、また、反対者の誤りを指摘することができるためである」と主張した(テトス1:7~9)。 AA 1391.7

初代キリスト教会で維持されていた秩序によって、彼らはよく訓練され、神の武具を身につけた軍隊として、団結して前進することができた。信者の群れはひろく散らばっていたとはいえ、みな1つ体の部分であった。すべての者がお互いに一致協力して行動した。のちにアンテオケやその他のところで不和が起こったように、地方教会で不和が起こり、信者たちが自分たちで解決できなくなった時、そうした問題のために教会に分裂を生じないように、各地方教会から選ばれた代議員及び重責の地位にある使徒や長老たちから成る、信徒全体の総会に問題がもち出された。こうして遠く離れた場所の教会を攻撃しようとするサタンの努力に、全部の人たちが行動を1つにして対抗したので、教会を分裂させ、破壊しようとする敵の計画は妨げられた。 AA 1392.1

「神は無秩序の神ではなく、平和の神である。聖徒たちのすべての教会で行われているように……」(Ⅰコリント14:33)。神は昔と同じように今日も、教会の事柄を行うのに秩序と組織とを要求される。神はみわざに承認の印をおすことができるように、それが完壁に正確に進められることを望んでおられる。クリスチャンはクリスチャンと、教会は教会と一致し、人間の力が神の力と協力し、すべての働きが聖霊に従属し、神の恵みのよいおとずれを世に知らせるために、すべてのものが結合しなければならない。 AA 1392.2