患難から栄光へ
第7章 偽善が招いた死
本章は使徒行伝4:32~5:11に基づく AA 1382.3
弟子たちがエルサレムで福音の真理を宣べ伝えた時、神は彼らのことばに有利な証拠を与えられ、民衆はそれを信じた。こうした初期の信者たちの多くは、ユダヤ人の激しい頑迷さのために、たちどころに家族や友人の縁を切られてしまったので、彼らのために食物や宿を心配する必要があった。 AA 1382.4
記録によると「彼らの中に乏しい者は、ひとりもいなかった」と書かれており、彼らの必要がいかに満たされたかを伝えている。金銭や持ちものに恵まれた信者たちは、危急の場合に喜んでこれを提供した。彼らは自分たちの家屋や地所を売り、その代金を持ってきて、使徒たちの足もとに置いた。「そしてそれぞれの必要に応じて、だれにでも分け与えられた」。 AA 1382.5
信者たちのこのような寛容さは、聖霊が注がれた結果であった。福音を受け入れた人々はみな、「心を1つにし思いを1つにし」た。彼らの心はただ1つの共通な関心事に支配されていた。それは彼らに委託された伝道事業を成功させることであった。彼らの生活に、貪欲がはいり込む余地はなかった。兄弟たちへの愛や自分たちが引き受けた働きに対する愛は、金銭や所有物に対する愛よりも強かった。彼らは地上の富よりも人の魂を高く証価していることを、実際の働きで証拠だてた。 AA 1382.6
神のみ霊が生活を支配する時には、常にこのよりなことが起こるのである。心がキリストの愛で満たされている人々は、ご自身の貧しさによってわれわれが富むものとなるように、われわれのために貧しくなられたキリストの模範に従う。金銭、時間、感化力など、神のみ手からさずけられた賜物すべてを、彼らはただ福音のわざを進展させる手段として重んじるのである。初代教会ではそうであった。そして、今日も、教会の中で、教会員たちが聖霊の力に導かれて、世俗的な事柄への愛着を捨て、自分たちの同胞に福音を伝えるために、喜んで犠牲を払うことが見られるな らば、宣べ伝えられる真理は、聞くものの心を力強く動かすであろう。 AA 1382.7
信者たちが示した博愛の模範とひどく違った対照をなして、アナニヤとサッピラの行為があった。霊感を受けてしるされた記録を見ると、この2人の経験は初代教会史上に汚点を残したことがわかる。みずから弟子だと名乗っていたこの2人は、他の者たちと共に、使徒たちの説く福音を聞く特権にあずかっていた。彼らは使従たちが祈り終えたとき「その集まっていた場所が揺れ動き、一同は聖霊に満たされ」たその場所に他の信者たちと共にいたのである(使徒行伝4:31)。深い確信がその場にいたすべての者にやどり、直接に神のみ霊の感化を受けたアナニヤとサッピラは、ある資産を売った収益を神にささげる誓いを立てていた。 AA 1383.1
後になってアナニヤとサッピラは欲深い気持ちに負けて、聖霊を嘆かせた。2人は約束を後悔しはじめた。そしてキリストのみわざのために立派なことをしたいという願いで心を燃やしてくれた、新鮮な尊い感動を失った。彼らは早まったことをしたと思った。だから自分たちの決心を考え直さなければならない。2人はそのことを話し合い、自分たちの誓約を果たさないことに決めた。しかし彼らは、自分たちよりも貧しい兄弟たちの必要を満たすために、自己の資産を手放した人々が信者のあいだで高く評価されているのを見て、厳粛に神にささげていたものを惜しむ自分たちの利己的な心を、人々に見すかされることを恥じ、考え抜いた末、自分たちの資産を売ることに決めた。そして彼らはその収益を全部共同資金にささげたふりをして、その実、売り上げの大部分を手放さなかった。このようにして2人は、共同の蓄えから生活を保証され、同時に兄弟たちからも高く証価されると思っていた。 AA 1383.2
神は偽善と虚偽を憎まれる。アナニヤとサッピラは神との取引で詐欺行為を行った。彼らは聖霊を欺いたために、その罪はたちどころに厳しく罰せられた。アナニヤが献金を携えてきたとき、ペテロが言った。「『アナニヤよ、どうしてあなたは、自分の心をサタンに奪われて、聖霊を欺き、地所の代金をごまかしたのか。売らずに残しておけば、あなたのものであり、売ってしまっても、あなたの自由になったはずではないか。どうして、こんなことをする気になったのか。あなたは人を欺いたのではなくて、神を欺いたのだ』。アナニヤはこの言葉を聞いているうちに、倒れて息が絶えた。このことを伝え聞いた人々は、みな非常なおそれを感じた」。 AA 1383.3
「売らずに残しておけば、あなたのもの……になったはずではないか」とペテロは言った。アナニヤは、不当な力が加えられたために、強制されて自分の財産をみんなの益となるようにささげたのではない。彼は自分で選択し、行動したのである。しかし弟子たちを欺こうとして、神を欺いていた。 AA 1383.4
「3時間ばかりたってから、たまたま彼の妻が、この出来事を知らずに、はいってきた。そこで、ペテロが彼女にむかって言った、『あの地所は、これこれの値段で売ったのか。そのとおりか』。彼女は『そうです、その値段です』と答えた。ペテロは言った、『あなたがたふたりが、心を合わせて主の御霊を試みるとは、何事であるか。見よ、あなたの夫を葬った人たちの足が、そこの門口にきている。あなたも運び出されるであろう』。すると女は、たちまち彼の足もとに倒れて、息が絶えた。そこに若者たちがはいってきて、女が死んでしまっているのを見、それを運び出してその夫のそばに葬った。教会全体ならびにこれを伝え聞いた人たちは、みな非常なおそれを感じた」。 AA 1383.5
神の無限の英知は、この注目すべき神の怒りの顕示が、若い教会を道徳的な堕落から守るために必要であったことを見通しておられた。信徒たちは急速に増えていった。この信徒数の急増するなかで、神に仕えることを表明しながら、富を礼賛している男女が加えられていたとすれば、教会は危機に陥ったであろう。この刑罰は、人は神を欺くことができない、また、神は心にかくされている罪を見通しになられて、欺かれることがないことを立証した。この刑罰は教会員を虚偽や偽善に陥らぬよう導き、神のものを盗まぬよう用心させるために、教会に与えた警告として もくろまれたのである。 AA 1383.6
神が貪欲や詐欺や偽善を憎むことを示されたこの実例は、初代の教会ばかりでなく、後に続くすべての時代に対して与えられた危険信号であった。アナニヤとサッピラが最初にいだいたのは貪欲であった。彼らは神に約束したものの一部をとっておきたいと望んだために、詐欺と偽善に陥ったのである。 AA 1384.1
神はご自分の民の働きとささげものによって、福音を宣伝してこられた。任意のささげものと什一が主のみ事業の財源である。神は人におゆだねになった資源から特定の部分、すなわち什一を要求なさっている。神は人がこれ以上ささげるかささげないかということを、人の自由にまかせておられる。しかし聖霊の感化を受けて、ある金額をささげる誓いを立てたら、誓った者はもはやささげた部分に対する権利を持たない。人に対するこのような種類の約束は、義務と見なされるであろう。ましてや神に対する約束は義務以上のものとならないだろうか。良心の法廷において結ばれた約束は、人々との契約書より拘束力が弱いものだろうか。 AA 1384.2
神の光がひときわ明るく、力強く人の心を照らしている時、いつもの利己心は手をゆるめて、神のためにささげる気持ちになる。しかしその時に結ばれた約束が、サタンの側の反対を受けずに果たされると思ってはならない。サタンは救い主の王国がこの地上に築き上げられることを喜ばない。彼は誓われた誓約が多すぎるのではないか、財産を得ようとする努力や、家族の希望を満足させようとする努力に支障をきたすのではないかとほのめかす。 AA 1384.3
人間に財産をお恵みになるのは神であって、これをなさるのは、彼らがみ事業進展のためにつくすことができるためである。神は日光や雨を送ってくださる。また、植物を豊かに生長させてくださる。神は健康を与えてくださり、目的を果たす能力を与えてくださる。祝福はすべて神の恵み深いみ手から与えられる。その代わりに神は、男にも女にも財産の一部を什一及びその他の献金、すなわち感謝のささげ物、任意のささげ物、また罪のためのささげ物として神に返し、感謝の気持ちを表すよう求められる。神の定めたこの計画にしたがって、あらゆる所得の十分の一や惜しみないささげ物など、資産が倉に蓄えられるならば、主のみわざは豊かに進展するのである。 AA 1384.4
しかし人間の心はわがままからかたくなになり、アナニヤやサッピラのように神からの要求を満たしているふりをしながら、財産の一部を隠したい誘惑にかられる。多くの人々は自分を満足させるためには惜しみなく金銭を使う。男も女も自分の都合を考えて、自分たちの好みを満たしているが、神へのささげ物は、しぶしぶと、切りつめて持ってくる。彼らは神の財産が使用された明細書を神がいずれ要求されることや、神がアナニヤやサッピラのささげ物をお受けにならなかったように、彼らが倉に携えてきたわずかなものをお受けにならないことを忘れている。 AA 1384.5
これらの偽証者に課した厳しい罰から、神はあらゆる偽善や詐欺をどれほど深く憎み、軽蔑しておられるかをわれわれに学ばせようとされたのである。アナニヤとサッピラはすべてをささげたふりをして聖霊を欺いた。その結果彼らはこの世のいのちと、来るべき世におけるいのちを失った。彼らを罰せられた同じ神が、今日、すべての虚偽をとがめられる。偽ることは神にとって忌まわしい行為である。「汚れた者や、忌むべきこと及び偽りを行う者は」聖なる都に「決してはいれない」と神は言われる(黙示録21:27)。真実を語るのにいいかげんであったり、あいまいであってはいけない。真実を語ることが生活の一部となるようにしよう。真実をもてあそび、自分の都合のよいように当てはめて偽ることは、信仰の破滅である。「立って真理の帯を腰にしめ」なさい(エペソ6:14)。事実でないことを語る人は、自分の魂を安売りするのである。彼のうそは、とっさの場合の役に立つように見えるかもしれない。こうして、彼は正当なやり方では望めないような商売の発展を期待するかもしれない。しかし最後には、だれも信頼できなくなる。自分がうそつきであるために、ほかの人の言葉を信用できないのである。 AA 1384.6
アナニヤとサッピラの場合、神に対する欺瞞の罪 は速やかに罰せられた。同様の罪は教会の後の歴史の中でもしばしば繰り返された。今日でも多くの人々により同じ罪が犯されている。しかし、たとえそれに対する神のご立腹が目に見えるようにあらわされなくとも、使徒の時代と同じように今日も神の御目にそれは憎むべきものである。警告は与えられてきた。神は明らかにこの罪を忌みきらわれた。偽善と強欲に身をやつす者は、みずから自分の魂を破壊していることを知るようになるであろう。 AA 1384.7