患難から栄光へ
第48章 皇帝ネロの前に立つパウロ
パウロが、裁判を受けるためにネロ皇帝の前に出頭するよう命じられた時、それは確実に死が近づいたことを予期させた。彼に負わされている罪の重大性と、クリスチャンに対する一般の憎悪心とから、好結果を期待できる理由はほとんどなかった。 AA 1543.4
ギリシヤ人やローマ人の間では、告発された者は、法廷で自分のために嘆願してくれる弁護者を雇う特権が与えられるのが常であった。議論によって、感動させるような雄弁によって、あるいは、嘆願、祈り、涙によって、そのような弁護者はしばしば、囚人に有利な決定を獲得し、あるいはこの事がうまくもかなかった場合でも、判決の厳しさを和らげることに成功したのである。しかしパウロがネロの前に引き出された時、あえて彼に助言したり、彼を弁護したりしようとする者はだれもいなかった。彼に対する告発や、彼が自ら弁明した議論を、記録にとどめてくれるような友達さえそばにはいなかった。ローマのクリスチャンの中には、この試練の時に彼の弁護を申し出る者は1人もなかった。 AA 1543.5
この事件の唯一の確かな記録は、パウロ自身によって、テモテへの第2の手紙の中に残されている。「わたしの第1回の弁明の際には、わたしに味方をする者はひとりもなく、みなわたしを捨てて行った。どうか、彼らが、そのために責められることがないように。しかし、わたしが御言を余すところなく宣べ伝えて、すべての異邦人に聞かせるように、主はわたしを助け、力づけて下さった。そして、わたしは、ししの口から救い出されたのである」(Ⅱテモテ4:16、17)。 AA 1543.6
ネロの前に立つパウロ。これはなんと著しい対照であろう。自らの信仰のために答弁しようとしている神の人パウロの前にいる、この傲慢な君主は、地上の権力と権威と富の絶頂に達していたが、同時に、罪と不義の最低の深みへ落ちていた。力と偉大さにおいて、彼に並ぶ者はなかった。彼の権威を疑う者や、彼の意志に逆らう者は、だれもいなかった。王たちは彼の足もとに自分たちの冠を脱いだ。強力な陸軍は彼の命令で行進し、彼の海軍軍旗は勝利を予示するものであった。彼の像が法廷に建てられ、元老院議員の布告や裁判官の判決は、王の意志をただそのまま繰り返したものにすぎなかった。幾百万の 人々が彼の命令に服して頭を下げた。ネロの名は世界を震え上がらせた。彼の不快を招くことは、財産、自由、生命を失うことであり、彼の不きげんは疫病よりもっと恐ろしいものであった。 AA 1543.7
金はなく、友もなく、弁護者もなく、年老いた囚人パウロはネロの前に立った。皇帝の顔つきには、内面の荒れ狂う激情の恥ずべき記録が現れていたが、被告の顔には、神と共にある平和な心が現れていた。パウロの経験は、貧困と克己と苦悩の経験であった。敵は絶えず、偽り、非難、悪口を並べてパウロをおどそうとしたが、それにもかかわらずパウロは、恐れなく十字架の旗を高く掲げてきたのである。パウロは主のように、家のない放浪者であり、主と同様、人類を祝福するために生きてきた。気まぐれで激情的で放縦な暴君ネロが、この神の子の品性と動機をどうして理解し、あるいはその真価を認められようか。 AA 1544.1
広い法廷には、気のはやる、落ち着きのない群衆が集まっていて、行われることをもれなく見聞きしようと、前方へと押し合いへし合いしていた。そこには身分の高い者も低い者もいた。金持ちも貧しい人も、教養のある者も無学な者も、高慢な者も謙遜な者もいたが、みな同じように、人生と救いについての真の知識に欠けていた。 AA 1544.2
ユダヤ人はパウロに対して、騒乱扇動や異端など古くからの告発を持ち出し、また、ユダヤ人もローマ人も、ローマ市の火事をそそのかしたのは彼であると訴えた。パウロは、自分に対してこれらの告発がなされている間、少しも取りみださず平静であった。人々や裁判官は、驚いて彼を見つめた。彼らは多くの裁判に出席し、多くの犯罪者を見てきていたが、自分たちの目の前にいる囚人のように神々しい冷静さを帯びた人物は見たことがなかった。裁判官たちの鋭い目は、囚人たちの顔つきを語みとることになれていたが、パウロの顔には何のやましい証拠も読みとれなかった。パウロが自分のために弁護することを許されたとき、一同は熱心な興味をもって耳を傾けた。 AA 1544.3
もうひとたびパウロは、不思議そうな群衆の前に十字架の旗を掲げる機会を得る。ユダヤ人、ギリシヤ人、ローマ人、また各地からの他国人などから成る、目の前の群衆を見つめる時、パウロの心は、彼らを救いたいという熱烈な願いにかきたてられる。パウロは、その場の状況、自分をとり巻いている危険、もう間近に思える恐ろしい運命を忘れる。彼は、罪人のために神のみ前で懇願しておられるイエスだけを見る。人間の雄弁と力以上のものをもって、パウロは福音の真理を示す。彼は、墮落した人類のためにささげられた犠牲を、聴衆に指し示す。また、人類のあがないのために無限の値が支仏われたことを語る。人が神のみ座にあずかるための準備がなされた。天の使者たちによって、地は天とつなげられ、人々の行為はすべて、良いものも悪いものも、正義であられる神の目には明らかである。 AA 1544.4
真理の唱道者はこのように訴える。信仰のない者たちに囲まれた信仰者、不忠実な者たちの間の忠実な者として、パウロは神の代理者として立つ。彼の声は天からの声のようである。言葉にも顔の表情にも、恐れや悲しみや失望の色はない。無罪を強く確信し、真理の武具を着て、パウロは自分が神の子であることを喜ぶ。彼の言葉は、戦場の勝ちどきより大きな、勝利の叫びのようである。パウロは、自分が生涯をささげてきた大目的を、決して失敗することのない唯一のものだと言明する。たとえ彼が滅びても、福音は滅びない。神は生きておられる。そして神の真理は勝利するのである。 AA 1544.5
その日彼を見つめていた多くの人々には「彼の顔は、ちょうど天使の顔のように見えた」(使徒行伝6:15)。 AA 1544.6
一同はそれまでこのような言葉を聞いたことがなかった。これらの言葉は心の琴線にふれて、最もかたくなな者たちの心をもゆり動かした。明瞭で説得力のある真理は、誤りをくつがえした。光は多くの人々の心を照らし、彼らはその後喜んでその光に従った。その日に語られた数々の真理は、国々をゆり動かし、各時代を生き続けて、それらを語った唇が殉教者の墓の中で沈黙してしまっても、人々の心に感化を及ぼすのであった。 AA 1544.7
ネロは、この機会に聞いたような真理を、それまで聞いたことがなかった。自分自身の生活の途方もない罪が、これほど彼に示されたことは、それまでなかった。天の光が、罪にけがれた彼の魂の部屋にさし込み、彼は、この世の支配者である自分も、最後には罪を責められ、自分の行為にふさわしい報いが与えられるさばきの場に立つことを思って、恐怖にうちふるえた。彼は使徒の神を恐れ、だれも告発を裏づけることのできなかったパウロに、あえて宣告をくだすことを恐れた。畏怖の念によってネロの残忍な精神は一時抑制された。 AA 1545.1
一瞬間、不義でかたくななネロに天が開かれ、その平安と純潔が望ましいものに思われた。その瞬間に憐れみの招きが、彼にさえも差しのべられた。しかし、神のゆるしを受けることができるという考えが、ネロの心に受け入れられたのは、ほんの一瞬のことであった。それからパウロを牢に連れ戻すようにと命令が出された。そして、神の使者に対して戸が閉ざされた時、ローマの皇帝には、悔い改めのとびらが永久に閉ざされたのであった。天からの光線は、彼を包んでいた暗黒を再び貫き通すことはなかった。彼は、まもなく、報いとしての神のさばきを受けるのであった。 AA 1545.2
こののち間もなく、ネロはギリシヤへの悪名高い遠征に出帆し、そこで、卑劣で品位を落とす軒薄な行動によって、自分自身と王国とに恥辱をもたらした。彼は非常に華麗なさまでローマに帰り、廷臣に取りまかれて、不快を催させるような放とうにふけった。このばか騒ぎの最中に、通りに騒々しい声が聞こえた。原因を知るために使者がつかわされたが、恐ろしい報告をもって帰ってきた。軍の統率者であるガルバが、急速にローマへと進軍しつつある、市内では既に反乱が起きた、町の通りは怒り狂った群衆でいっぱいになり、彼らは皇帝とその一味を殺してやるとおどしながら、宮殿へと押し寄せてきている、というのだった。 AA 1545.3
この危機の時にあたって、ネロは、信仰深いパウロのように、より頼むことのできる力強く憐れみ深い神を持っていなかった。群衆の手にかかって耐えなければならない苦しみと、おそらく受ける拷問とを恐れて、この哀れな暴君は、自分の手で自分の命を絶とうと思った。しかし、そのきわどい時に、彼は勇気がくじけた。男らしさを全く失ったネロは、不名誉にも町から逃げ出し、数マイル離れた田舎の邸宅に身をひそめようとした。しかしこれもむだであった。ネロの隠れ家はすぐに見つけられた。追跡の騎兵が近づいた時、ネロは奴隷を呼び出し、彼の手を借りて自分自身に致命傷を負わせた。こうして暴君ネロは、32才の若さで死んだのであった。 AA 1545.4