患難から栄光へ
第29章 共に悩み、共に喜ぶ
本章はコリント人への第1の手紙に基づく AA 1468.6
コリント教会への第1の手紙は、使徒パウロが、エペソに滞在中の後期に書いたものである。彼は、他のだれよりも、コリントの信者たちに深い関心を抱き、たゆまず彼らのために努力した。彼は、1年半にわたって、彼らのあいだで働き、十字架にかけられてよみがえられた救い主を、唯一の救いの道として示し、主の恵みの改変力に絶対的に信頼するように勧めた。彼は、キリスト教を信じると告白した人々を教会の交わりに受け入れる前に、キリスト教の信者の特権と義務について、彼らに注意深く訓戒を与え、バプテスマの誓約に忠実であるよう彼らを助けるために、熱心に努力したのである。 AA 1468.7
パウロは、すべての人が、たえず彼らを欺き陥れようとする悪の勢力と戦わなければならないことを痛感して、信仰に入ってまだ日の浅い人々を強め、信仰を堅くさせるために、たゆまず働いた。パウロは、神に対する全的降伏を彼らに勧めた。なぜならば、この降伏がなければ、罪は捨て去られておらず、食欲と 情欲は、まだ力を振るおうとし、誘惑は、良心を混乱させるからである。 AA 1468.8
降伏は、完全でなければならない。人間は、どんなに力弱く、疑念に閉ざされ、苦闘していても、主に完全に服従する者はみな、彼を勝利者とすることができる力に、直接触れるのである。天は、彼のそば近くにある。そして、すべての試練と必要の時に、恵みの天使の支えと助けを受けるのである。 AA 1469.1
コリントの教会の信者は、最も魅惑的な形態の偶像礼拝と官能主義に取り囲まれていた。パウロが、彼らと共にいたときは、こうした勢力は、彼らに対してほとんど影響を及ぼさなかった。パウロの堅固な信仰、熱烈な祈り、真剣な教えの言葉、そして、何にも増して、彼の敬虔な生活が、罪の快楽にふけるよりキリストのために自己を否定するよう、彼らを励ました。 AA 1469.2
しかし、パウロが去ったあと、情勢が思わしくなくなった。敵のまいた毒麦が、麦の中に出て来た。そして、まもなく、毒麦は悪い実を結び始めた。これはコリントの教会にとって、激しい試練の時であった。彼らの熱意を奮いたたせ、神と一致した生活を送るように彼らを助ける使徒パウロは、もういなかった。そして、多くの者は、徐々に、軽率と無関心におちいり、生来の好みと傾向のままに生活するようになった。純潔と高潔という高い理想に到達するようにと、幾度となく彼らに勧告を与えた者は、もう彼らと共にいなかった。そして、改心した時に悪習慣を捨て去った者の多くが、また、異教の堕落的な罪に逆もどりした。 AA 1469.3
パウロは、短い手紙を教会に送って、不品行をやめない人々とは「交際してはいけない」と勧告した。しかし、多くの信者は、パウロの真意を曲解し、彼の言葉に対して、勝手な理屈を言って、その教えを無視する口実にした。 AA 1469.4
教会は、種々の問題について勧告を求める手紙をパウロに送ったが、彼らの中の重大な罪については、旬も言わなかった。しかし使徒パウロは、教会の真の状態が隠されていること、また、手紙の筆者たちが、自分たちの都合のよいように解釈できるような言葉をパウロから引き出そうとしていることを、聖霊によって、力強く知らされた。 AA 1469.5
そのころ、コリントで評判のよいクリスチャン家族、クロエの家の者たちが、エペソに来た。パウロが彼らに事情を尋ねたところ、彼らは、教会が分裂していることを彼に語った。アポロが訪問したときに起こった紛争が、いよいよ激しさを増していた。にせ教師たちが、パウロの教えを軽蔑するように信者たちを仕向けていた。福音の教理と儀式が曲解されていた。かつては熱心なクリスチャン生活を送っていた人々のあいだに、高慢と偶像礼拝と官能主義が、ますます増えひろがっていた。 AA 1469.6
パウロは、こうした状態を知らされたときに、彼の恐れていた最悪の事態が起きたことを悟った。しかし、そうだからといって、彼の働きが失敗であったとは考えなかった。彼は、「心の憂い」と「多くの涙」をもって、神の勧告を求めた。すぐにコリントを訪問することが最善の道であったなら、彼は喜んでそうしたことであろう。しかし、彼は、信者たちの現状にかんがみて、自分が骨折っても益にならないことを知っていたので、のちに彼が訪問するときの準備として、テトスをつかわした。そして、使徒パウロは、不可解でよこしまな行動をとった人々に対する彼の個人的感情をすべて捨て去って、神に信頼をよせ、彼のすべての手紙の中で最も豊かで、最も教訓に富み、最も力強い手紙の1つを、コリントの教会にあてて書いたのである。 AA 1469.7
パウロは、驚くべき明確さをもって、教会が提出した問題に解答を与え、一般的原則を定めた。もし、これらに留意するならば、彼らはより高い霊的水準へと導かれるのであった。彼らは、危機におちいっていた。そしてパウロは、この重大な危機に当たって彼らの心を動かすのに失敗するというようなことは、考えただけでも耐えられなかった。誠意をこめて彼は、彼らの危険について警告し、彼らの罪を責めた。彼は、ふたたび、彼らにキリストを指し示し、初めのころの献身の炎をもう1度燃え立たせようとした。 AA 1469.8
コリントの信者に対する使徒パウロの大きな愛は、教会へあてた優しいあいさつの言葉にあらわされて いる。パウロは、彼らが偶像礼拝を捨てて、真の神を礼拝し、仕えるようになったことに言及した。彼らが受けた聖霊の賜物を思い起こさせ、クリスチャン生活においてたえず進歩し、ついにはキリストの純潔と神聖さに到達することが、彼らの特権であることを教えた。「あなたがたはキリストにあって、すべてのことに、すなわち、すべての言葉にもすべての知識にも恵まれ、キリストのためのあかしが、あなたがたのうちに確かなものとされ、こうして、あなたがたは恵みの賜物にいささかも欠けることがなく、わたしたちの主イエス・キリストの現れるのを待ち望んでいる。主もまた、あなたがたを最後まで堅くささえて、わたしたちの主イエス・キリストの日に、責められるところのない者にして下さるであろう」と彼は書いた。 AA 1469.9
パウロは、コリントの教会に起きた不和について腹蔵なく語り、争いをやめるよう教会員たちに勧告した。「さて兄弟たちよ。わたしたちの主イエス・キリストの名によって、あなたがたに勧める。みな語ることを1つにし、お互の間に分争がないようにし、同じ心、同じ思いになって、堅く結び合っていてほしい」と彼は書いた。 AA 1470.1
パウロは、教会の分裂のことを、どのようにして、また、だれに聞いたかを言ってもよいと思った。「わたしの兄弟たちよ。実は、クロエの家の者たちから、あなたがたの間に争いがあると聞かされている」。 AA 1470.2
パウロは、霊感を受けた使徒であった。彼が、他の人々に教えた真理は、「啓示によっ」て与えられたものであった。しかし、主は、神の民の状態がどのようなものであるかを、彼に、常に直接啓示されたわけではない。この場合においては、コリントの教会が栄えることに関心を持っていた人々、そして害悪が忍び込んでくるのを見た人々が、パウロにそのことを言ったのであって、彼は、以前に受けた神からの霊感によって、こうした事態の発展が何であるかを判断することができた。主は、この特別の時のために新しい啓示をお与えにはならなかったが、真に光を求めていた人々は、パウロの言葉を、キリストのみこころをあらわしたものとして受け入れた。主は、教会に起こってくる困難や危険をすでにパウロに示しておられた。そして、そのような害悪が生じてきたとき、彼は、それらの意味を悟ることができた。彼は、教会を擁護するために立てられていた。パウロは、神に言い開きをすべき者として責任を持って、人々を見守らなければならなかった。したがって、彼らのあいだに無秩序と分裂があるという報告に注意することは、彼にとって、当然かつ正当なことであった。そして、彼が彼らに書き送った譴責は、疑いもなく、彼の他の手紙と同様に、神の霊の感動によって書かれたのである。 AA 1470.3
パウロは、彼の働きの実を破壊しようとしていた偽教師たちについては、何も言わなかった。教会内の暗黒と分裂のために、彼は、彼らに言及して刺激することを賢明にも差し控えた。それは、ある人々を、真理から全く離反させてしまわないためであった。彼は、彼らのあいだにおける自分の働きは、「熟練した建築師のように」土台をすえることで、他の人々がその上に家を建てるのであると言った。しかし、そうだからといって、自分を高めたのではない。「わたしたちは神の同労者である」と彼は言った。彼は、自分自身の知恵を誇らず、ただ神の力によってのみ、神に喜ばれるような方法で真理を伝えることができたことを認めた。パウロは、教師中の大教師キリストと結合することによって、神の知恵の教えを伝えることができた。それは、どんな階層の人々の必要をも満たし、どんな時代、どんな場所、どんな状態のもとにおいても当てはまるものであった。 AA 1470.4
コリントの信者間において生じた、いっそう深刻な害悪の1つは、多くの者が、異教の堕落した習慣に逆もどりしたことであった。かつての一改心者は、異邦人のあいだの低い道徳的標準をさえ犯すほどの、みだらな生活に逆もどりしていた。パウロは、「その悪人を」彼らのあいだから除いてしまうように教会に訴えた。「あなたがたは、少しのパン種が粉のかたまり全体をふくらませることを、知らないのか。新しい粉のかたまりになるために、古いパン種を取り除きなさい。あなたがたは、事実パン種のない者なのだから」と、パウロは彼らに忠告した。 AA 1470.5
教会に生じたもう1つの大きな害悪は、兄弟たちが互いに訴訟を起こしていたことであった。信者間の諸問題の解決のためには、十分な規定が設けられていた。キリストご自身が、そのような問題を調整する方法を明白にお教えになっていた。「もしあなたの兄弟が罪を犯すなら、行って、彼とふたりだけの所で忠告しなさい。もし聞いてくれたら、あなたの兄弟を得たことになる。もし聞いてくれないなら、ほかにひとりふたりを、一緒に連れて行きなさい。それは、ふたりまたは3人の証人の口によって、すべてのことがらが確かめられるためである。もし彼らの言うことを聞かないなら、教会に申し出なさい。もし教会の言うことも聞かないなら、その人を異邦人または取税人同様に扱いなさい。よく言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天でも皆つながれ、あなたがたが地上で解くことは、天でもみな解かれるであろう」と救い主は勧告された(マタイ18:15~18)。 AA 1471.1
パウロは、この明白な勧告を見失ってしまったコリントの信者たちに、はっきりした忠告と譴責を書き送った。「あなたがたの中のひとりが、仲間の者と何か争いを起した場合、それを聖徒に訴えないで、正しくない者に訴え出るようなことをするのか。それとも、聖徒は世をさばくものであることを、あなたがたは知らないのか。そして、世があなたがたによってさばかれるべきであるのに、きわめて小さい事件でもさばく力がないのか。あなたがたは知らないのか、わたしたちは御使をさえさばく者である。ましてこの世の事件などは、いうまでもないではないか。それだのに、この世の事件が起ると、教会で軽んじられている人たちを、裁判の席につかせるのか。わたしがこう言うのは、あなたがたをはずかしめるためである。いったい、あなたがたの中には、兄弟の間の争いを仲裁することができるほどの知者は、ひとりもいないのか。しかるに、兄弟が兄弟を訴え、しかもそれを不信者の前に持ち出すのか。そもそも、互に訴え合うこと自体が、すでにあなたがたの敗北なのだ。なぜ、むしろ不義を受けないのか。……しかるに、あなたがたは不義を働き、だまし取り、しかも兄弟に対してそうしているのである。それとも、正しくない者が神の国をつぐことはないのを、知らないのか」。 AA 1471.2
サタンは、常に、神の民の中に、不信と離反と悪意を持ち込もうとしている。われわれは、実際は何の原因もないにもかかわらず、自分たちの権利が侵害されているように考えたくなることがよくある。キリストと彼の事業を愛することよりも、もっと強く自分を愛する者は、自分自身の利益をまず第一にし、どんな手段を講じてでもそれを守り、維持しようとする。良心的なクリスチャンと思われる多くの人々でさえも、誇りと自尊心のゆえに、過ちを犯していると思われる人々のところへ個人的に行って、キリストの精神をもって彼らと語り、互いのために共に祈ることをしないのである。ある者は、兄弟たちから害をこうむったと考えたら、救い主の規則に従うかわりに、訴訟をさえ起こすであろう。 AA 1471.3
クリスチャンは、教会員のあいだに起こる問題を解決するのに、裁判に訴えるべきではない。そのような諸問題は、キリストの教えに従って、彼ら自身のあいだで、または、教会によって、解決されなければならない。たとえ、不正が行われたとしても、柔和で心のへりくだったイエスの、弟子たちは、教会の兄弟たちの罪を世に公表するよりは、むしろ「だまされて」いるのである。 AA 1471.4
兄弟間の裁判沙汰は、真理の働きに対する恥辱である。訴訟を起こすクリスチャンは、教会を敵の嘲笑にさらし、暗黒の勢力を勝利させる。彼らは、キリストをふたたび傷つけ、キリストをさらし者にする。彼らは、教会の権威を無視することによって、教会に権威をお与えになった神を軽蔑するのである。 AA 1471.5
パウロは、このコリント人への手紙の中で、キリストの力が、彼らを悪から守ることを示そうと努めた。もし彼らが、示された条件に従うならば、大いなる神の力によって強くなることを、彼は知っていた。パウロは、彼らが罪の奴隷から解放され、神を恐れて全く清くなるための助けとして、彼らに対する神の所有権を強調した。すなわち、改心のとき彼らは、自分たちの生涯を神にささげたのであった。「あなたがたは、キ リストのもの」であると、パウロは断言した。「あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい」。 AA 1471.6
使徒パウロは、純潔と聖潔の生活から、異教の腐敗した習慣に戻ることの結果を、はっきりと述べた。「まちがってはいけない。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、……盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者は、いずれも神の国をつぐことはないのである」。彼は、下劣な情欲や食欲を抑制するように彼らに訴えた。「あなたがたは知らないのか。自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であ」る。 AA 1472.1
パウロは、豊かな知的資質を持っていたが、生活においても、まれに見る知恵の力をあらわし、機敏な洞察力と心からの同情によって、親しく他の人々と交わり、彼らの善い性質を呼びさまし、より高い生活へと努力するように彼らを奮い立たせた。彼の心は、コリントの信者たちへの心からの愛に満ちていた。彼らが内的敬虔をあらわし、誘惑に対して強く抵抗することを彼は渇望した。彼は、クリスチャンの道のりの1歩1歩において、彼らがサタンの会堂の者たちの反対にあい、日ごとに戦いに従事しなければならないことを知っていた。彼らは、敵のひそかな侵入に対して防備を怠らず、古い習慣と生まれながらの傾向を退けて、常に目をさまして祈らなければならなかった。パウロは、クリスチャンの高い境地には、多くの祈りと、常に目をさましていることによってしか到達できない、ということを知っていた。そして、このことを彼らの心に教えこもうと努めた。しかしまた、彼は、彼らが、十字架にかけられたキリストによって、魂を悔い改めさせる十分な力が与えられ、悪に対するすべての誘惑に抵抗できる者とされることも、知っていた。神に対する信仰を武具とし、神の言葉を戦いの武器とするとき、彼らは内的な力を与えられて、敵の攻撃をかわすことができるのであった。 AA 1472.2
コリントの信者たちは、神の事柄に関して、より深い経験が必要であった。彼らは、神の栄光を見つめて、品性が徐々に変えられていくということが、どんなことなのか十分に知らなかった。彼らは、その栄光のきざしをかいまみたに過ぎなかった。パウロが彼らに願ったことは、彼らが、神に満ちているもののすべてをもって満たされ、あしたの光のように現れる神を知り、ますます神のことを学んで、完全な福音信仰の真昼の輝きに到達することであった。 AA 1472.3