国と指導者

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第11章 カルメル山の対決

本章は列王紀上18:19~40に基づく PK 446.2

エリヤはアハブの前に立って、イスラエルのすべての人、およびバアルの預言者とアシタロテの預言者が、カルメル山で彼のところに集まることを求めた。「それで今、人をつかわしてイスラエルのすべての人およびバアルの預言者450人、ならびにアシラの預言者400人、イゼベルの食卓で食事する者たちをカルメル山に集めて、わたしの所にこさせなさい」と彼は命じた(列王紀上18:19)。 PK 446.3

命令はあたかも主のみ前に立っているかと思われた人が発したのである。そしてアハブは、預言者が王であって、自分は家来であるかのように直ちにそれに従った。急使たちが国に送られ、エリヤおよびバアルとアシタロテの預言者たちのところに集合するように伝えた。人々はすべての町々村々で、指示された時に集まる準備をした。彼らがその場所に向かって進んでいった時に、多くの人々は不思議な予感を感じた。何か異常な事態が起ころうとしていた。でなければ、カルメルに集まれというこの命令はなぜだろうか。どんな新しい悲惨な災害が人々と地上に下ろうとしているのだろうか。 PK 446.4

カルメル山はかんばつの前には美しい所であった。尽きない泉の水が流れを満たし、肥沃な斜面は美しい花や繁った森におおわれていた。しかし今、その美しさはかんばつの被害のためにしぼんでしまった。バアルとアシタロテを礼拝するために建てられた祭壇は、今や葉が枯れ落ちた木々の中に立っていた。これらとは著しく対照的に、最も高い峰の頂上には荒廃した主の祭壇があった。 PK 446.5

カルメルはあたり一面の地域を広く見下ろしていた。その頂上はイスラエルの国の各地から見ることができた。山の麓には上で行われることを、ほとんどみな見ることができる好都合な場所があった。また山の斜面の木陰で行われた偶像礼拝によって、神の栄光は著しく汚されていた。そしてエリヤは、神の力のあらわれと神のみ名の栄えを擁護すろために、最も目立った場所としてこの山を選んだのである。 PK 446.6

指定された日の早朝から、背信したイスラエルの群衆が山の頂上近くに集まってくる。イゼベルの預言者たちは厳めしく並んで進んでいく。 PK 446.7

王は華麗な王衣をまとってあらわれ、祭司たちの 先頭の位置につく。すると偶像礼拝者たちは、彼に対する歓迎の叫びをあげる。しかし祭司たちの心はエリヤが語った時に、イスラエルの国に3年半の間雨も露もふらなかったことを思い出して恐れを感じる。彼らは何か恐るべき危機が迫っていると感じるのである。彼らが信頼してきた神々は、エリヤが偽りの預言者であることを証明することができなかった。彼らの狂気の叫び、彼らの祈りと涙、彼らの屈辱、彼らの忌まわしい儀式、彼らの絶え間なく捧げられる高価な犠牲などに対して、彼らの礼拝する神々は奇妙に無関心であった。 PK 446.8

エリヤは集まったイスラエルの群衆に囲まれながら、アハブと偽りの預言者たちと顔を合わせて立っている。彼は主の栄誉を擁護するためにただ1人で現れたのである。恐ろしい災害を引き起こした当人として全国の非難を受けている彼が、今イスラエルの王とバアルの預言者たち、軍人たち、取り巻く群衆の前に、一見何の防備もなく立っている。しかし、エリヤはただ1人ではない。天の保護天使たち、力に満ちた天使たちが、彼の上にも彼のまわりにもいるのである。 PK 447.1

預言者エリヤは神の命令を実行することが自分に委ねられていることを十分に自覚して、恥じず恐れず群衆の前に立っている。彼の顔は恐るべき厳粛さに輝いている。人々は不安な予感を抱きながら、彼が語るのを待っている。エリヤはまず崩れた主の祭壇を眺めてから、群衆を眺めてラッパのような明瞭な声で、「あなたがたはいつまで2つのものの間に迷っているのですか。主が神ならばそれに従いなさい。しかしバアルが神ならば、それに従いなさい」と叫ぶ(列王紀上18:21)。 PK 447.2

人々はひと言も彼に答えない。大群衆の中で誰1人として、主に対する忠誠を表明するものはいないのである。欺瞞と無知とが暗雲のようにイスラエルをおおってしまったのである。すべての者が、一時にこうした致命的背信に陥ったのではなかったが、主が警告と譴責の言葉を彼らに送られた時に、それに心を留めないことが度重なるうちに、徐々にそうなったのである。 PK 447.3

義を行うことを離れ悔い改めを拒否する度に、彼らの罪は深まり彼らを天から遠く引き離した。そして今、この危機において彼らは、頑強に神のために立っことを拒んだ。 PK 447.4

主は神の働きの危機における無関心と不忠実を憎まれる。全宇宙は善悪の大争闘の最後の場面を、言葉では表現することができない深い関心をもって眺めている。神の民は永遠の世界の境界に近づいている。彼らにとって天の神に忠誠であることより重大なことがほかにあろうか。神は各時代を通じて道徳的英雄を持っておられたが、今もなおヨセフ、エリヤ、ダニエルのように、自分たちが神の特選の民であることを認めるのを恥としない人々を持っておられる。神の特別の祝福は、行動する人々の働きに伴うのである。彼らは真っすぐな義務の道から離れず、神の力によって「すべて主につく者は」だれかと尋ねる人々である(出エジプト32:26)。また彼らはただ単にそう聞くだけにとどまらず、神の民の側に立つことを選ぶものは進み出て、明白に王の王、主の主に対する彼らの忠誠を表すように要求する人々である。このような人々は彼らの意志や計画を、神の律法に従属したものにする。彼らは神に対する愛のゆえに、生命も惜しいとは思わない。彼らの働きはみ言葉から光を得て、それを世界に燦然と輝かすことである。彼らの標語は、神に対する忠誠ということである。 PK 447.5

カルメル山上のイスラエルが疑い、ためらっている時に、再びエリヤの声が沈黙を破った。「わたしはただひとり残った主の預言者です。しかしバアルの預言者は450人あります。われわれに2頭の牛をください。そして1頭の牛を彼らに選ばせ、それを切り裂いて、たきぎの上に載せ、それに火をつけずにおかせなさい。わたしも1頭の牛を整え、それをたきぎの上に載せて火をつけずにおきましょう。こうしてあなたがたはあなたがたの神の名を呼びなさい。わたしは主の名を呼びましょう。そして火をもって答える神を神としましょう」(列王紀上18:22~24)。 PK 447.6

エリヤの提案は全く道理にかなっていたので、人々 はそれを避けることができずにやっとの思いで、「それがよかろう」と答える。 PK 447.7

バアルの預言者たちは、あえて反対の声をあげない。エリヤは彼らに向かって、「あなたがたは大ぜいだから初めに1頭の牛を選んで、それを整え、あなたがたの神の名を呼びなさい。ただし火をつけてはなりません。」と命じるのである(同18:25)。 PK 448.1

偽りの預言者たちは、外面は大胆で反抗的な態度をとっていたが、彼らのやましい心は恐怖におののいて祭壇の用意をし、たきぎと生けにえをのせる。そして彼らは呪文を唱え始める。彼らが彼らの神の名を呼んで、「バアルよ、答えてください」という甲高い叫び声は、回りの森や山々にこだまして、隈なくひびき渡る。祭司たちは彼らの祭壇の周りに集まり、踊ったり、体をねじったり、叫んだり、髪の毛をむしったり、身を傷つけたりして彼らの神の助けを願い求めるのである。 PK 448.2

朝は過ぎ昼になるが、それでもバアルは彼の惑わしに陥った信奉者たちの叫びに答えるきざしを示さない。彼らの気も狂わんばかりの祈りに対して何の声も答えもない。犠牲は焼かれないままそこに残されている。 PK 448.3

彼らが熱狂的な祈りを捧げている時に、悪賢い祭司たちは何かの方法で祭壇に火をつけて、人々に火が直接バアルから来たように信じさせようと、たゆまず努力している。しかし、エリヤはすべての行動を見ている。それでも祭司たちは、なんとかして人々を欺く機会を捕らえようとして、彼らの無意味な儀式を続けるのである。 PK 448.4

「昼になってエリヤは彼らをあざけって言った。『彼は神だから、大声をあげて呼びなさい。彼は考えにふけっているのか、よそへ行ったのか、旅に出たのか、または眠っていて起されなければならないのか』。そこで彼らは大声に呼ばわり、彼らのならわしに従って、刀とやりで身を傷つけ、血をその身に流すに至った。こうして昼が過ぎても彼らはなお叫び続けて、夕の供え物をささげる時にまで及んだ。しかしなんの声もなく、答える者もなく、また顧みる者もなかった」(同18:27~29)。 PK 448.5

サタンは彼に欺かれて彼の礼拝に身を捧げている人々を、喜んで助けに来たことであろう。彼は犠牲に火を点じるために喜んで稲妻を送ったことであろう。しかし、主はサタンの活動範囲を定め、彼の力を制限された。だから敵のどんな策略によっても、バアルの祭壇に1つの火を点じることもできなかった。 PK 448.6

ついに祭司たちは、大声でわめき立てたために声がかれ、その衣は自らの身を傷つけた血にまみれて、絶望状態に陥る。彼らの熱狂ぶりは衰えを見せない。今や彼らの嘆願には、彼らの太陽神に対する恐ろしいのろいの言葉が混じる。エリヤはそれを一心に見守っているのである。なぜならば、もし祭司たちが何かの方法で祭壇に火をつけることに成功するならば、彼はただちに引き裂かれてしまうのであった。 PK 448.7

夕方が近づいてくる。バアルの預言者たちは疲労のため倒れて混乱に陥る。ある者が何かを言うと、他の者が別のことを言うので、ついに彼らはその騒ぎをやめてしまう。彼らの叫びとのろいの声は、もうカルメル山上に響かなくなる。彼らは絶望してこの争論から引き下がる。 PK 448.8

人々は敗れた祭司たちの示威運動を、1日中目撃していた。彼らは、祭司たちが自分たちの願いをかなえるために、太陽の燃えさかる光線を手につかむかのように、熱狂的に祭壇の周りを飛びはねるのを見た。彼らは、祭司たちが自分たちの身を傷つけるという恐ろしい光景をふるえながら眺めて、偶像礼拝の愚劣さを反省する機会が与えられた。群衆の中の多くの者は、魔神信仰の示威運動には退屈し、今やエリヤの運動に深い関心を抱いて待機するのである。 PK 448.9

夕の供え物を捧げる時になり、エリヤは人々に向かって、「わたしに近寄りなさい」と命じる。彼らがふるえながら近づいてくると、彼はかつて人々が天の神を礼拝していた、壊れている祭壇のところへ行ってそれを繕うのである。彼にとってこの瓦礫の上は、どんなに壮麗な偶像礼拝の祭壇よりも尊いのである PK 448.10

エリヤはこの昔ながらの祭壇を修復することにより て、イスラエルがヨルダン川を渡って約束の地に入った時に、主が彼らと結ばれた契約を尊重していることをあらわしたのである。彼は、「ヤコブの子らの部族の数にしたがって12の石を取り、……主の名によって祭壇を築」いた(列王紀上18:30)。 PK 448.11

むだな骨折りに疲れ果てた失意のバアルの祭司たちは、エリヤが何をするのかを見ようと待っている。彼らはエリヤが、彼らの神々の弱さと無力さを暴露したテストを提案したことを憎むが、彼の力を恐れている。 PK 449.1

人々もまた恐怖心を抱き、息をのむばかりの期待をもってエリヤが準備をつづけるのを見守っている。バアルの信奉者たちの、熱狂的で無意味な狂乱さとは著しく対照的に、預言者エリヤの態度は静かである。 PK 449.2

祭壇ができ上がると、預言者はその周りにみぞを作る。そして薪を並べ、牛を切り裂き、その犠牲を祭壇の上に載せて、人々に犠牲と祭壇とに水を十分かけるように命じるのである。「『4つのかめに水を満たし、それを燔祭とたきぎの上に注げ』。また言った、『それを2度せよ』。2度それをすると、また言った、『3度それをせよ』。3度それをした。水は祭壇の周囲に流れた。またみぞにも水を満たした」(同18:33~35)。 PK 449.3

エリヤは主の怒りを招いた長い間の背信を人々に思い起こさせ、イスラエルの国からのろいが取り除かれるように、心を低くして彼らの先祖の神に立ち返るように呼びかける。そして、彼は目に見えない神の前にうやうやしく身をかがめ、手を天にあげて簡単な祈りを捧げるのである。バアルの預言者たちは、朝早くから午後遅くまで大声で叫び、あわを吹いて踊った。しかしエリヤが祈った時には、カルメル山上に無意味な叫び声は響かなかった。彼は、主がその場の目撃者としてそこにおられて、彼の訴えを聞いておられるということを自覚しているかのように祈るのである。バアルの預言者たちは狂気じみて、つじつまの合わないことを祈った。エリヤはイスラエルの人々が神に立ち返ることと、神がバアルよりも優れた神であることを示して下さいと、簡単に熱をこめて祈るのである。 PK 449.4

「アブラハム、イサク、ヤコブの神、主よ、イスラエルでは、あなたが神であること、わたしがあなたのしもべであって、あなたの言葉に従ってこのすべての事を行ったことを、今日知らせてください。主よ、わたしに答えてください、わたしに答えてください。主よ、この民にあなたが神であること、またあなたが彼らの心を翻されたのであることを知らせてください」(同18:36、37) PK 449.5

すべての者は、重苦しい厳粛な気持ちで沈黙している。バアルの預言者たちは、ふるえおののいている。彼らは罪を意識し、今にもその罰が下るものと考える。 PK 449.6

エリヤの祈りが終わるか終わらないうちに、火の炎が稲光の明るいひらめきのように天から下って、高く築かれた祭壇の上の燔祭を焼きつくし、みぞの水をなめつくし、祭壇の石さえ焼きつくすのである。その炎の輝かしさは山々を照らし、群衆の目を眩惑させる。下の谷間では多くの者が、山上の人々の行動を不安な気持ちで見守っているが、火の下るのが明らかに見えて、すべての者はその光景に驚きの目を見張る。それは紅海において、イスラエルの人々とエジプトの軍勢とを隔てた、火の柱に似ているのである。 PK 449.7

山上の人々は畏敬の念に満たされて、目に見えない神の前にひれ伏すのである。彼らは天から下った火を、あえて見つづけようとはしない。彼らは自分たち自身も焼きつくされるのではないかと恐れる。そしてエリヤの神を彼らの先祖たちの神として認め、その神に忠誠をつくさなければならないことを悟る。彼らはみな声をそろえて、「主が神である。主が神である」と叫ぶのである。その叫びは驚くばかり明瞭に山に響き渡り、下の谷間にこだまする。ついにイスラエルは迷いから覚めて、罪を悔いるのである。ついに人々は、自分たちがどれほどはなはだしく神のみ名を汚したかを自覚する。真の神が要求される霊的な礼拝と対照して、バアル礼拝の特質が完全に暴露されているのである。人々は、彼らが神のみ名を告白する に至るまで、雨や露をおとどめになった神の義ど隣れみとを認める。彼らは今エリヤの神は、他のすべての偶像にまさっていることを認める準備ができたのである。 PK 449.8

バアルの祭司たちは、主の力の不思議なあらわれを眺めて驚く。しかし彼らは、自分たちの失敗と神の栄光のあらわれを見てもなお、悪行を悔い改めようとはしない。彼らはなおも、バアルの預言者でありたいのである。こうして彼らは滅びの時が熟したことを示した。悔い改めるイスラエル人は、彼らにバアル礼拝を教えた者の惑わしから保護されるのであるが、エリヤはこれらの偽りの教師を滅ぼす指示を主から受ける。罪を犯した指導者たちに対する人々の怒りは、すでに燃え上がっていた。 PK 450.1

そしてエリヤが「バアルの預言者を捕らえよ。そのひとりも逃がしてはならない」と命令したときに、彼らはすぐに従う用意がある。彼らは祭司たちを捕らえて、キション川に連れていく。そして、決定的改革が始まったその日の終わる前に、バアルの預言者たちは殺される。その1人も生かしておいてはならない。 PK 450.2