国と指導者

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第31章 諸国民の希望

イザヤはその働きの全期間を通して、異教徒に対する神のみこころについて明白なあかしを立てたのである。他の預言者たちも神の計画について述べはしたが、彼らの言葉は必ずしも理解されたとは限らなかった。しかし、神のイスラエルの中には、肉によるアブラハムの子孫ではない多くの人々が数えられるという真理を、ユダに明らかに示すようにイザヤは命じられた。この教えは彼の時代の神学と一致していなかったが、それでも彼は恐れることなく神から与えられた使命を伝え、アブラハムの子孫に約束された霊的祝福を渇望していた多くの人々に希望を与えたのである。 PK 527.5

異邦人への使徒パウロは、ローマ人への手紙のなかで、イザヤのこの独特の教えに注意をひいている。「イザヤも大胆に言っている、『わたしは、わたしを求めない者たちに見いだされ、わたしを尋ねない者に、自分を現した』」(ローマ10:20)。 PK 527.6

イスラエルの人々はしばしば、異邦人に対する神のみこころを理解することができず、また、理解しようとしなかった。しかし、彼らが分かたれた民となり、地上の諸国の間で独立した国家として確立されたのは、実にこの目的のためであった。まず最初に契約が与えられた、彼らの先祖アブラハムはその親族を離れて遠くの地へ出て行き、異邦人に光を掲げる ように召されたのである。彼に与えられた約束のなかには、子孫が海の砂のように多くなることが含まれてはいたが、彼がカナンの地で大いなる国家の父になることは、何も利己的な目的のためではなかった。彼に与えられた神の契約は、地上のすべての国々を含んでいた。「わたしは…あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地のすべてのやからは、あなたによって祝福される」(創世記12:2、3)。 PK 527.7

イサクが生まれるすぐ前に契約が更新されたとき、人類に対する神のみこころが再び明らかにされた。「地のすべての民がみな、彼によって祝福を受ける」という主の確証が約束の子について与えられた(同18:18)。そして後に、天からの使者はもう1度、「また地のもろもろの国民はあなたの子孫によって祝福を得るであろう」と宣言した(同22:18)。 PK 528.1

この契約のすべてを包含した条項は、アブラハムの子々孫々によく理解されていた。彼らがエジプトの奴隷から解放されたのは、イスラエルの人々が国々に対して祝福となるためであり、神のみ名が「全地に」宣べ伝えられるためであった(出エジプト9:16)。もし彼らが神の要求に従ったならば、知恵と理解とが他の民族よりもはるかに進むことになっていた。しかしこの優秀性は、神のみこころが、彼らによって「地のもろもろの国民」のために成就することによってのみ、達成され維持されるのであった。 PK 528.2

イスラエルがエジプトの奴隷から解放された時の驚くべき摂理と、彼らが約束の地を占領したことは、多くの異教徒に、イスラエルの神が最高の支配者であることを認めさせたのである。「エジプトびとはわたしが主であることを知るようになるであろう」という約束が与えられていた(同7:5)。高慢なパロでさえ、主の力を認めないわけにはいかなかった。「行って主に仕えなさい。」「また、わたしを祝福しなさい」と彼は、モーセとアロンに訴えた(同12:31、32)。 PK 528.3

進軍するイスラエルの軍勢は、ヘブル人の神の大いなるみ業のことが彼らに先立って人々に知られ、異教徒の中のある人々はこの神だけが真の神であることを知っていた。邪悪なエリコの町において、異教徒の女は「あなたがたの神、主は上の天にも、下の地にも、神でいらせられるからです。」とあかしした(ヨシュア2:11)。このようにして彼女に与えられた主についての知識が、彼女を救ったのであろ。「信仰によって、遊女ラハブは、……不従順な者どもと一緒に滅びることはなかった」(ヘブル11:31)。彼女の改心は、神の権威を認めた偶像礼拝者に対する神の憐れみのただ1つの例ではなかった。多数の民族の地のただ中において、ギベオン人は彼らの異教の神を捨ててイスラエルと同盟を結び、契約の祝福にあずかったのである。 PK 528.4

神は国籍、人種、または階級などの差別をお認めにならない。彼はすべての人類の創造主であられるのである。すべての人々は、創造によって1つの家族である。そしてすべての人々は、贖罪によって1つなのである。すべての魂が自由に神に近づくことができるように、キリストはすべての差別の壁を取り除き、神殿のすべての部屋を広く開けるために来られた。彼の愛は広く深く十分に満ちあふれていて、どんなところにでも滲透していくのである。それは、サタンの影響を受けてその欺瞞に惑わされた人々を引き上げて、約束の虹に囲まれている神のみ座近くに彼らを置くのである。キリストにあってはユダヤ人もなければギリシア人もなく、奴隷も自由人もないのである。 PK 528.5

約束の地の占領後年月がたつうちに、異教徒の救いに関する主の恵み深い計画が全くと言っていいほど忘れ去られてしまった。そして神はご自分の計画をもう1度、改めて示さなければならなくなったのである。詩篇記者は霊感を受けて歌った。「地のはての者はみな思い出して、主に帰り、もろもろの国のやからはみな、み前に伏し拝むでしょう。」「諸侯はエジプトよりきたり、エチオピアはあわただしく神にむかひて手をのべん(文語訳)」。「もろもろの国民は主のみ名を恐れ、地のもろもろの王はあなたの栄光を恐れるでしょう。」「きたるべき代のために、この事を書きしるしましょう。そうすれば新しく造られる民は、主 をほめたたえるでしょう。主はその聖なる高き所から見おろし、天から地を見られた。これは捕われ人の嘆きを聞き、死に定められた者を解き放ち、人々がシォンで主のみ名をあらわし、エルサレムでその誉をあらわすためです。その時もろもろの民、もろもろの国はともに集まって、主に仕えるでしょう」(詩篇22:27、68:31、102:15、18~22)。 PK 528.6

もしイスラエルが与えられた信任に忠実であったならば、地のすべての国々がイスラエルの祝福にあずかったことであろう。しかし人々を救う真理の知識を委ねられた者の心は、周囲の人々の必要を感じなかった。神のみこころが見失われるにつれて、異教徒は神のあわれみの範囲外のものとみなされるようになったのである。真理の光は遮られて、暗黒がみなぎった。諸国は無知のとばりに覆われた。神の愛は忘れ去られた。誤りと迷信がはびこった。 PK 529.1

イザヤが預言者の任務に召されたのは、このような状態の時であった。それでも彼は失望しなかった。なぜならば、神のみ座を取り巻く天使たちが「その栄光は全地に満つ」と勝ち誇って歌う歌声が、彼の耳に鳴り響いていたからである(イザヤ6:3)。そして彼の信仰は、神の教会が輝かしく勝利する幻を見て強められた。「水が海をおおっているように、主を知る知識が地に満ちるからである」(同11:9)。 「すべての民のかぶっている顔おおいと、すべての国のおおっているおおい物」とは、ついに破られるのである(同25:7)。神の霊がすべての人々に注がれるのであった。飢えかわくように義を慕い求める者は、神のイスラエルの中に数えられるのであった。「彼らは水の中の草のように、流れのほとりの柳のように、生え育つ。ある人は『わたしは主のものである』と言い、ある人はヤコブの名をもって自分を呼び、またある人は『主のものである』と手にしるして、イスラエルの名をもって自分を呼ぶ」と預言者は言った(同44:4、5)。 PK 529.2

預言者には、地上の諸国に散らされた悔い改めないユダの人々に対する神の恵み深い計画の啓示が与えられた。「わが民はわが名を知るにいたる。その日には彼らはこの言葉を語る者がわたしであることを知る」と主は言われた(同52:6)。そして彼らはただ服従と信頼の教訓を学ぶだけではなかった。彼らは生ける神についての知識を、他の人々に伝えることもしなければならなかった。他国人の子孫の中から多くの人々が、神を彼らの創造主、また贖い主として愛するようになるのであった。彼らは神の創造の力の記念として、聖安息日を守り始めるのであった。そして主が、「その聖なるかいなを、もろもろの国びとの前にあらわ」し、捕囚から神の民を救い出される時に、「地のすべての果は、われわれの神の救を見る」のである(同52:10)。こうした異教からの改宗者の多くは、イスラエルと全く1つになって彼らがユダヤに帰還する旅に加わりたいと願った。この人々は誰1人として、「主は必ずわたしをその民から分かたれる」と言ってはならなかった(同56:3)。なぜならば、神に従い神の律法を守る人々に、神が預言者によって語られたことは、彼らが今後霊的イスラエル、すなわちこの地上の神の教会の中に数えられるということであった。 PK 529.3

「『また主に連なり、主に仕え、主の名を愛し、そのしもべとなり、すべて安息日を守って、これを汚さず、わが契約を堅く守る異邦人は——わたしはこれをわが聖なる山にこさせ、わが祈の家のうちで楽しませる、彼らの燔祭と犠牲とは、わが祭壇の上に受けいれられる。わが家はすべての民の祈の家ととなえられるからである』。イスラエルの追いやられた者を集められる主なる神はこう言われる、『わたしはさらに人を集めて、すでに集められた者に加えよう』と」(イザヤ56:6~8)。 PK 529.4

預言者は数世紀も先に約束のメシヤが来られる時のことを見るのを許された。彼はまずはじめに、「悩みと暗きと、苦しみのやみ」を見ただけであった(同8:22)。真理の光を仰ぎ求めていた多くの人々は、偽教師たちによって邪道に導かれ、哲学と心霊術の欺瞞的迷路に陥った。他の者は信心深い形式に信頼をおいていたが、その実生活には真の清めを実現させていなかった。将来はいかにも絶望的であっ た。しかし間もなく光景は変化した。そして預言者の目の前に驚くべき幻が展開されたのであった。イザヤは義の太陽が、その翼にいやす力を備えてのぼるのを見たのである。そして彼はわれを忘れて賛嘆し、叫んで言った。「しかし、苦しみにあった地にも、やみがなくなる。さきにはゼブルンの地、ナフタリの地にはずかしめを与えられたが、後には海に至る道、ヨルダンの向こうの地、異邦人のガリラヤに光栄を与えられる。暗やみの中に歩んでいた民は大いなる光を見た。暗黒の地に住んでいた人々の一ヒに光が照った」(同9:1、2)。 PK 529.5

この輝かしい世の光は、あらゆる国民、部族、国語、民族に救いをもたらすのであった。彼の前にある働きについて、永遠の父なる神が次のように宣言されるのをイザヤは聞いたのである。「あなたがわがしもべとなって、ヤコブのもろもろの部族をおこし、イスラエルのうちの残った者を帰らせることは、いとも軽い事である。わたしはあなたを、もろもろの国びとの光となして、わが救を地の果にまでいたらせよう。」「わたしは恵みの時に、あなたに答え、救の日にあなたを助けた。 PK 530.1

わたしはあなたを守り、あなたを与えて民の契約とし、国を興し、荒れすたれた地を嗣業として継がせる。わたしは捕らえられた人に『出よ』と言い、暗きにおる者に『あらわれよ』と言う。」「見よ、人々は遠くから来る。見よ、人々は北から西から、またスエネの地から来る」(イザヤ49:6、8、9、12)。 PK 530.2

預言者イザヤは更にはるか遠い将来を眺めて、これらの輝かしい約束が文字どおりに成就するのを見た。彼は救いの福音を伝える者たちが地の果てまで行って、すべての部族と民族にまで及ぶのを見た。彼は、主が福音の教会について次のように言われるのを聞いた。「見よ、わたしは川のように彼女に繁栄を与え、みなぎる流れのように、もろもろの国の富を与える。」そして彼は、次のような任命を聞いた。「あなたの天幕の場所を広くし、あなたのすまいの幕を張りひろげ、惜しむことなく、あなたの綱を長くし、あなたの杭を強固にせよ。あなたは右に左にひろがり、あなたの子孫はもろもろの国を獲」る(同66:12、54:2、3)。 PK 530.3

主はご自分の証人たちを「タルシシ、……プトおよびルデ、トバル、ヤワン、また……海沿いの国々につかわす」と預言者イザヤに宣言された(岡66:19)。 PK 530.4

「よきおとずれを伝え、平和を告げ、 PK 530.5

よきおとずれを伝え、救を告げ PK 530.6

シオンにむかって『あなたの神は王となられた』と PK 530.7

言う者の足は山の上にあって、 PK 530.8

なんと麗しいことだろう。」 PK 530.9

(同52:7) PK 530.10

イザヤは定められた働きをするようにと教会を召される神の声を聞いた。それは、神の永遠の王国の到来に対して道を備えるためであった。その言葉は紛れもなく明白なものであった。 PK 530.11

「起きよ、光を放て。 PK 530.12

あなたの光が臨み、 PK 530.13

主の栄光があなたの上にのぼったから。 PK 530.14

見よ、暗きは地をおおい、 PK 530.15

やみはもろもろの民をおおう。 PK 530.16

しかし、あなたの上には主が朝日のごとくのぼられ、 PK 530.17

主の栄光があなたの上にあらわれる。 PK 530.18

もろもろの国は、あなたの光に来、 PK 530.19

もろもろの王は、のぼるあなたの輝きに来る。 PK 530.20

あなたの目をあげて見まわせ、 PK 530.21

彼らはみな集まってあなたに来る。 PK 530.22

あなたの子らは遠くから来、 PK 530.23

あなたの娘らは、かいなにいだかれて来る。 …… PK 530.24

異邦人はあなたの城壁を築き、 PK 530.25

彼らの王たちはあなたに仕える。 PK 530.26

わたしは怒りをもってあなたを打ったけれども、 PK 530.27

また恵みをもってあなたをあわれんだからである。 PK 530.28

あなたの門は常に開いて、 PK 530.29

昼も夜も閉ざすことはない。 PK 530.30

これは人々が国々の宝をあなたに携えて来、 PK 530.31

その王たちを率いて来るためである。」 PK 531.1

「地の果なるもろもろの人よ、 PK 531.2

わたしを仰ぎのぞめ、そうすれば救われる。 PK 531.3

わたしは神であって、ほかに神はないからだ。」 PK 531.4

(イザヤ60:1~4、10、11、45:22) PK 531.5

暗黒の時代に大いなる霊的覚醒が起こるというこれらの預言は、今日、伝道活動の戦線が前進して、地の暗黒に覆われた地域へと及んでいることによって成就した。異邦の地における伝道者たちの一群を、預言者は、真理の光を求める人々を導くために立てられた旗にたとえている。 PK 531.6

イザヤは言っている。「その日、エッサイの根が立って、もろもろの民の旗となり、もろもろの国びとはこれに尋ね求め、その置かれる所に栄光がある。 PK 531.7

その日、主は再び手を伸べて、その民の残れる者を……あがなわれる。 PK 531.8

主は国々のために旗をあげて、イスラエルの追いやられた者を集め、ユダの散らされた者を地の四方から集められる」(同11:10~12)。 PK 531.9

救いの日が近づいている。「主の目はあまねく全地をゆきめぐり、自分に向かって心を全うする者のために力をあらわされる」(歴代志下16:9)。神はあらゆる国民、部族、国語の中に、光と知識を求めて祈っている男女をごらんになる。彼らの魂は満たされていない。彼らは長い間灰を食べてきた(イザヤ44:20参照)。すべての義の敵が誤った道に導いたので、人々は盲人のように手さぐりしている。しかし彼らはまじめな人々であって、よりよい道を知ろうと望んでいる、彼らは異教主義の深みに沈み、成文化した神の律法と、神のみ子イエスについて何の知識もなかったとは言え、その心と品性に神の力が働いていたことをいろいろの方法で示したのである。 PK 531.10

神の恵みの働きによって与えられる以外には神のことを何も知らない人々が、神のしもべたちに親切を示し、自分たちの生命を危険にさらしてまで彼らを保護したことがあったのである聖霊は真理を探究する多くの気高い人々の心にキリストの美徳を植えつけ、彼らの性質や以前の教育とは正反対の同情心を起こさせるのである。「すべての人を照すまことの光があって、世にきた」(ヨハネ1:9)。この光が彼らの心を照らしている。この光に心を留めるならば、それは彼らの足を神の国に導くのである。預言者ミカは言った。「たといわたしが暗やみの中にすわるとも、主はわが光となられる。……主はわたしを光に導き出してくださる。わたしは主の正義を見るであろう」(ミカ7:8、9)。 PK 531.11

天の神の救いの計画は、広く全世界を含むものである。神は弱り果てた人類に、生命の息を吹き込もうと熱望されるのである。そして神は、この世の何ものよりもはるかに高尚で高貴なものを、真剣に求めている者が失望に陥ることをお許しにならないのである。 PK 531.12

最も絶望的な状況のもとにありながらも、自己の力以上の何か大きな力によって救いと平和が与えられるように、信仰をもって祈っている者に神は常に天使を送っておられる。神はさまざまの方法によって自分を彼らに現し、「彼らをして神に望みをおき、神のみわざを忘れず、その戒めを守らせるため」にご自身を贖いとしてすべての者のためにお与えになった方に対する信頼を確立するように、神の摂理の働きに彼らを触れさせられる(詩篇78:7)。 PK 531.13

「勇士が奪った獲物をどうして取り返すことができようか。」「しかし主はこう言われる、『勇士がかすめた捕虜も取り返され、暴君が奪った獲物も救い出される』」(イザヤ49:24、25)。「刻んだ偶像に頼み、鋳た偶像にむかって『あなたがたは、われわれの神である』と言う者は退けられて、大いに恥をかく」(同42:17)。 PK 531.14

ヤコブの神をおのが助けとし、その望みをおのが神、主におく人はさいわいである」(詩篇146:5)。「望みをいだく捕われ人よ、あなたの城に帰れ」(ゼカリヤ9:12)。異邦の地のすべての心の正しい人々に、すなわち天の神の目の前に「正しい者」たちのために、光は「暗黒の中にもあらわれる」(詩篇112:4)。神はお語りになった。「わたしは目の見えない人を彼 らのまだ知らない大路に行かせ、まだ知らない道に導き、暗きをその前に光とし、高低のある所を平らにする。わたしはこれらの事をおこなって彼らを捨てない」(イザヤ42:16)。 PK 531.15