キリストとキリストの天使たちサタンとサタンの天使たちとの間の大闘争

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第5章 — イエスの働き

サタンは試みをやめて、しばらくイエスから離れた。 そして天使たちは荒野で料理を作り、イエスを元気付けた。 そこで自分の父からの祝福がイエスを覆った。 一番強烈な誘惑が失敗に終わったが、サタンは悪賢く、イエスが働いている間に時々イエスを攻撃するのを楽しみにしていた。 イエスを受け入れない者を扇動し、イエスを憎ませ、殺させる事によって、まだイエスに打ち勝つ事を望んでいた。 サタンと彼の天使たちは特別な会議を開いた。 神様の息子に対して何もできなかったので彼らはがっかりして、激怒した。 もっとずる賢くなって、イエスが世の救い主である事に対して同胞が疑うようになるため全力を尽くそう、と決めた。 この方法でイエスを落胆させ、やる気を無くさせようとした。 ユダヤ人がどれほど儀式と、いけにえの任務を正確に守っても、預言に対して盲目にさせ、その預言を成就する者がこの世的な力強い王様であると信じさせる事に成功したら、救世主のやって来るのは未来だ、と考え続けるようになる。 GCJ 20.1

次に、イエスが働いている間、サタンと彼の天使たちは人間が疑って、憎んで、軽蔑するよう仕向けるのに大変忙しかった様子が私に示された。 イエスが鋭利な真実でユダヤ人の罪を叱ると、彼らはよく激怒した。 サタンと彼の天使たちは彼らをせき立てて、神様の息子の命を取ろうとした。 ある時、石を拾って、イエスに投げようとしたが、天使たちがイエスを守り、怒っていた群集から安全なところに運んであげた。 又、別の時に、分かりやすい真理がイエスの聖なる唇から出たとき、群集はイエスを捕まえ、丘の崖まで連 れて行き、投げ落とそうとした。 そこでイエスについてどうしたら良いのか、もめ始めた。 その時、天使たちが再び群集の目からイエスを隠したので、イエスは人込みを通って、去った。 GCJ 20.2

サタンはまだ偉大なる救いの計画が失敗に終わる事を願っていた。 皆の心をかたくなにさせ、イエスに対して無情を起こさせるのに全力を注いだ。 イエスが神様の息子である事を受け入れる人があまりにも少なく、自分が味わう苦痛や犠牲は大きすぎる、とイエスに考えさせる事はサタンの狙いだった。 しかし、たった二人でもイエスを神様の息子であると受け入れ、魂を救うに至るまでの信仰を持っていたなら、イエスはその計画を実施してあげた事を私は見た。 GCJ 21.1

イエスはまず、サタンが人々を苦しませる権力を破る働きを開始した。 その悪権力で苦しんでいた者をいやした。 病人を回復させたり、足の不自由な人を癒してあげたりしたので、彼らは喜びのあまり胸が躍り、神様に栄光を帰した。 イエスは長年サタンの残酷な力で縛られていた目の見えない人に目が見えるようにしてあげた。 弱い者、震えている者や、落胆した者を恵み深い言葉で慰めた。 死んだ人はイエスに復活させていただき、神様の偉大な力が示されたので神様をあがめた。 イエスを信じた人のためにイエスは大いに力を発揮した。 サタンが以前勝ち誇って、握っていた苦しんでいる弱い者をイエスはもぎ取り、自分の力で彼らに健全な体を与え、大きな喜びと幸せをもたらした。 GCJ 21.2

イエスの人生は慈悲と思いやりと愛に満ちたものであった。 いつも寄って来る人たちの話を丁寧に聞き、彼らの苦難を和らげてあげた。 多くの人がイエスの神性な力の証拠を自分の身に持っていた。 でも、そのわざが行なわれてからすぐ、たくさんの人はあのへりくだる偉大な先生を恥に思っていた。 なぜなら、指導者たちがイエスを信じなかったので、彼らはイエスと一緒に苦しみを受けたくなかったからである。 イエスは悲しみの男で、悲嘆を知っていた。 イエスの真面目な自制のある生活を耐える事のできる人は少なかった。 彼らは世が授けるような名誉が欲しかった。 多くの人はイエスに付いて行き、その唇から出る恵み深い言葉や教えを楽しく聞いていた。 その言葉は意味深かったが、一番弱い者でも理解できるように分かりやす かった。 GCJ 21.3

サタンと彼の天使たちは忙しかった。 ユダヤ人の目を盲目にし、理解力を曇らせた。 サタンは民の長と指導者たちを扇動して、イエスの命を取らせようとした。 そしてその指導者たちは、イエスを連れてくるように役人を送ったが、彼らはイエスに近づくと非常に驚いた。 それはイエスが人間の苦難を目撃すると、哀れみと思いやりが沸いてきて、愛を持って優しい言葉で弱い者や悩みを抱えている者に元気付けるのを彼らは見たからである。 更に、権威のある話し振りでサタンの力をとがめ、サタンの支配下にいる捕虜たちを自由にせよ、と命令する事をも聞いた。 イエスの唇から出た知恵ある言葉の数々を聞いていた役人たちは魅了され、イエスに手を掛けられなかったので、手ぶらで祭司たちや長老たちのところに戻った。 役人たちは、「なぜ、あの人を連れてこなかったのか」と問われた。 彼らが目撃したイエスの奇跡や、聞いた聖なる知恵、愛、そして知識に満ちた話を告げ、「この人の語るように語った者は、これまでにありませんでした」と報告を終えた。 すると祭司長たちは、「お前たちもだまされている」と彼らを非難した。 何人かはイエスを連れて来なかった事を恥に思った。 祭司長たちは、イエスを信じてしまうような指導者がどこに居るか、とあざけった口振りで尋ねた。 本当は多くの指導者と長老がイエスを信じた事を私は見た。 しかし、サタンに縛られていたので、公に認めなかった。 彼らは神様より、人間の批判を恐れたからである。 GCJ 22.1

この時点まできても、救いの計画はサタンの憎しみと悪賢さによって壊されていなかった。 イエスが世に来た目的を達成する時が迫ってきた。 サタンと彼の天使たちは協議して、キリストの同胞がキリストの血を強く求め、新しい残酷な行為を考えだし、それを軽蔑的にもキリストにぶちまけるように仕向ける事を決めた。 イエスがそんな待遇に腹を立て、おとなしさや謙遜な態度を守らなくなるのがサタンの狙いだった。 GCJ 22.2

サタンがその計画を練っていた間、イエスは味わわなければならない苦難を丹念に弟子たちに教えた。 自分は十字架に掛けられ、そして三日後に復活する事を。 しかし、彼らの理解力は鈍かったようで、イエスの言っている事がさっぱり分からなかった。 GCJ 22.3

ルカ4:29、ヨハネ7:45-48、8:59を参照