キリストとキリストの天使たちサタンとサタンの天使たちとの間の大闘争
第16章 — パウロはエルサレムを訪れた
パウロが改宗してから間もなくエルサレムに行って、イエスの事や素晴らしい恵みについて説教した。 パウロの奇跡的な改宗談で祭司たちや指導者たちが激怒して、彼を殺そうとした。 しかし、パウロが祈ると、殺されないためにイエスはもう一度幻の中で彼に現れ、「急いで、すぐにエルサレムを出て行きなさい。 私についてのあなたのあかしを、人々が受け入れないから」と言った。 そこでパウロが必死にイエスに頼んだ、「主よ、彼らは、私がいたるところの会堂で、あなたを信じる人々を獄に投じたり、むち打ったりしていたことを、知っています。 また、あなたの証人ステパノの血が流された時も、私は立ち合っていてそれに賛成し、また彼を殺した人たちの上着の番を していたのです」。 エルサレムにいるユダヤ人が自分の体験談に反抗できず、「そんなに人を大きく変えられる力は神様にしかない」と見なしてくれるだろう、とパウロは思った。 でもイエスは、「行きなさい。 私が、あなたを遠く異邦の民へつかわすのだ」と言った。 GCJ 59.1
パウロはエルサレムから離れている間体験した事を手紙に書き、いろんなところに送った。 その手紙の数々は力強く証しをしたが、ある人たちは彼の手紙の影響力を無くそうと努力した。 手紙が意味深く、力強いものだと認めざるをえなかったが、パウロ自身については、「弱い、話ぶりは下手くそ」と彼らが言いふらした。 GCJ 60.1
パウロは博学の人で、知恵と振る舞いによって聞いてた人たちをうっとりさせた事を私は見た。 多くの教養のある人は彼の知識を評価して、イエスを信じるようになった。 王様や大観衆の前でパウロはあまりにも雄弁に語り、皆を圧倒したので祭司たちや長老たちは激怒した。 パウロは深い論理的な話を分かりやすく説明する事ができ、最高の清い思考が分かるように話をした。 神様の豊かな恵みやキリストの素晴らしい愛を生き生きと描写する事をしてから、話を庶民の理解力に合わせ、簡単に、また力強く自分の体験談を話した。 そして彼らは、「キリストの弟子になりたい」と熱望するようになってきた。 GCJ 60.2
主は、「あなたはもう一度エルサレムへ行かなければならない。 そこで縛られ、私の名前のゆえに苦しめられる」とパウロに示した。 長い間パウロは捕虜の身柄になったが、それによって主は特別な働きを進めた。 パウロの手錠によってキリストの事が広く知られ、その手錠は神様に栄光を帰す手段となった。 裁判が町から町へと移された際、証しをする機会が与えられ、王様や総督たちがイエスに対して無知のままでいてはならないため、パウロは興味を引く改宗の体験談を話した。 何千人もの人がイエスを信じ、その名前で喜ぶようになった。 パウロの航海で乗組員が彼を通して神様の力を目撃し、異邦人もイエスの名前を聞き、そしてパウロの教えと行なわれた奇跡とによって、多くの人が改宗できるという神様の特別な計画がやり遂げられた事を私は見た。 王様や総督たちはパウロの論理に魅了され、彼が熱心に聖霊の力でイエスの事を説いたり、面白い改宗の体験談を話したりすると、 「イエスは神様の息子だ」と彼らは確信した。 パウロの話で驚かされた一人は声を上げ、「あなたに説得され、もう少しでクリスチャンになるところだった」と言った。 いつか聞いていた話を考慮しようと彼らは思っていたが、ぐずぐずしている間サタンが働き、心が和らいでいる時の好機を逃してしまった。 それで彼らの心が永久に麻痺してしまった。 GCJ 60.3
サタンの最初の仕事はユダヤ人を、イエスが救い主である事に対して盲目にする、と私に示された。 その次は、彼らがイエスの大いなるわざに対して妬みを感じ、イエスの命を求めるように仕向ける事だった。 サタンはイエスの弟子の一人に入り、ユダヤ人にイエスを裏切るように唆した。 そして彼らは命の主、その栄光の主を十字架にはりつけた。 イエスが死からよみがえってもユダヤ人は罪に罪を重ね、イエスの復活の事実を隠そうとローマの番人たちにお金を渡して、偽りの証言をさせた。 でもイエスと一緒にたくさんの証人がよみがえったので、イエスの復活は二重に確実な事となった。 イエスは弟子たちに現れ、そして500人以上集まって来た人にも現れた。 イエスによって復活した人たちは多くの人に現れ、「イエスがよみがえった!」と宣言した。 GCJ 61.1
ユダヤ人はサタンに導かれ、神様に反乱した。 彼らは神様の息子を受け入れず、はりつけの処刑によって最も貴い血を流して、国民に汚点を残した。 どれほど「イエスは世の救い主、神様の息子」という説得力のある証拠があっても、イエスを殺害してしまった。 イエスの好意を得る見込みがなくなり、ただ堕落後のサタンに残った道と同じく、彼らには慰めと望みの道は一本しかなかった。 それは神様の息子に対して反抗し続け、打ち勝っていこうという道だった。 弟子たちを迫害したり、殺したりして、反乱を続けた。 そのユダヤ人にとって、はりつけにした「イエス」の名前ほど耳に障る言葉がなく、どんな証拠があっても「聞くまい」と決心した。 ステパノの場合、聖霊が彼を通して、「イエスは神様の息子」という有力な証拠をはっきり示しても、ユダヤ人は説得されないために手で耳をふさいだ。 そしてステパノが神様の栄光に包まれながら、彼に石を投げて殺した。 サタンは、イエスの殺害者たちをしっかりと握った。 彼らは悪性な事をしていたので、自らサタンの支配下に入り、振り回された。 そして彼らを通して、サタンは、キリストの信者たちを苦しめ、悩ませた。 それにユダヤ人を通して異邦人をもかき立たたせ、イエ スの名前とその名前を信じ、従った人たちに敵対させた。 しかし、弟子たちが聞いた事や見た事を証しできるために神様は天使たちを送って、力付けた。 そしてついに、不動の信念を保ちながら、自分の証しを自分の血で証明するようになる。 GCJ 61.2
自分が仕掛けたわなにユダヤ人がすっかり掛かったので、サタンは喜んだ。 彼らは無駄な礼拝をしたり、無駄ないけにえをささげたり、それに無駄なおきてを守る事をやめようとはしなかった。 イエスが十字架に掛けられ、「完了した!」と大声で言った時に神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。 これで神様は、もはや神殿で祭司たちと会わないし、彼らのささげものや働きを受け入れない事を示した。 その上、ユダヤ人と異邦人との間の壁が壊された事を示した。 イエスはユダヤ人や異邦人両方のためにも自分をささげ、両方が救われるなら、「イエスは世の救い主で、罪のための唯一のささげものである」と信じなければならない。 GCJ 62.1
イエスは十字架に掛けられた時、兵士の一人がやりで脇を突き刺した。 すると血と澄んだ水が、はっきりと二つの筋に分かれて流れてきた。 血はイエスの名前を信じる者の罪を洗い清めるためのものである。 一方、水は信者がイエスから得る、「命を与える生ける水」という意味を表している。 GCJ 62.2
マタイ27:51、ヨハネ19:34、使徒行伝24、26章を参照