患難から栄光へ

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第二五章テサロニケ教会への手紙

本章はテサロニケ人への第一・第二の手紙に基づく AAJ 276.1

パウロがコリントに滞在しているあいだに、シラスとテモテがマケドニヤから下ってきたことは、パウロを大いに励ました。ふたりは、福音宣伝者たちがテサロニケをはじめて訪問したとき真理を受け入れていた人々の、「信仰と寛容」の「よきおとずれ」を彼に携えてきた。パウロは、試練と逆境の真っただ中にいて、変わることなく神に忠実につかえている信者たちへ、優しい同情の心を向けた。パウロは自分で彼らを訪問したいと思ったが、その時にはこれが不可能だったので、彼らに手紙を書いた。 AAJ 276.2

テサロニケの教会にあてたこの手紙の中で、使徒パウロは、彼らが信仰を増し加えているというよろこばしい知らせを、神に感謝している。「兄弟たちよ。それによって、わたしたちはあらゆる苦難と患難との中にありながら、あなたがたの信仰によって慰められた。なぜなら、あなたがたが主にあって堅く立ってくれるなら、わたしたちはいま生きることになるからである。ほんとうに、わたしたちの神の みまえで、あなたがたのことで喜ぶ大きな喜びのために、どんな感謝を神にささげたらよいだろうか。わたしたちは、あなたがたの顔を見、あなたがたの信仰の足りないところを補いたいと、日夜しきりに願っているのである」とパウロは書いた。 AAJ 276.3

「わたしたちは祈の時にあなたがたを覚え、あなたがた一同のことを、いつも神に感謝し、あなたがたの信仰の働きと、愛の労苦と、わたしたちの主イエス・キリストに対する望みの忍耐とを、わたしたちの父なる神のみまえに、絶えず思い起している。」 AAJ 277.1

テサロニケにいる信者たちの多くが「偶像を捨てて神に立ち帰り、生けるまことの神に仕えるようにな」っていた。彼らは「多くの患難の中で、聖霊による喜びをもって御言を受けいれ」ていた。主に忠実に従っている彼らは「マケドニヤとアカヤとにいる信者全体の模範になった」とパウロは述べた。この称賛の言葉は分に過ぎたものではなかった。「すなわち、主の言葉はあなたがたから出て、ただマケドニヤとアカヤとに響きわたっているばかりではなく、至るところで、神に対するあなたがたの信仰のことが言いひろめられたので」ある。 AAJ 277.2

テサロニケの信者たちは本当の伝道者であった。彼らの心は、「きたるべき怒り」に対する恐れから彼らを救い出して下さった救い主への熱意に燃えた。キリストの恵みによって、彼らの生活におどろくべき変化が起こった。そして、主のみことばが彼らの口から語られると、力がそれに伴った。聞く者の心は宣べ伝えられた真理によって納得させられ、多くの魂が信者の群れに加えられた。 AAJ 277.3

この第一の手紙の中で、パウロは、テサロニケ人の中で働いた彼のやりかたに言及した。彼は欺きやだましごとで改心者を導こうとしたのではないと言明した。「わたしたちは神の信任を受けて福音を託されたので、人間に喜ばれるためではなく、わたしたちの心を見分ける神に喜ばれるように、福音を語るのである。わたしたちは、あなたがたが知っているように、決してへつらいの言葉を用いたこともなく、口実を設けて、むさぼったこともない。それは、神があかしして下さる。また、わたしたちは、キリストの使徒として重んじられることができたのであるが、あなたがたからにもせよ、ほかの人々からにもせよ、人間からの栄誉を求めることはしなかった。むしろ、あなたがたの間で、ちょうど母がその子供を育てるように、やさしくふるまった。このように、あなたがたを慕わしく思っていたので、ただ神の福音ばかりではなく、自分のいのちまでもあなたがたに与えたいと願ったほどに、あなたがたを愛したのである。」 AAJ 278.1

パウロは続けた。「あなたがたもあかしし、神もあかしして下さるように、わたしたちはあなたがた信者の前で、信心深く、正しく、責められるところがないように、生活をしたのである。そして、あなたがたも知っているとおり、父がその子に対してするように、あなたがたのひとりびとりに対して、御国とその栄光とに召して下さった神のみこころにかなって歩くようにと、勧め、励まし、また、さとしたのである。 AAJ 278.2

これらのことを考えて、わたしたちがまた絶えず神に感謝しているのは、あなたがたがわたしたちの 説いた神の言を聞いた時に、それを人間の言葉としてではなく、神の言として——事実そのとおりであるが——受けいれてくれたことである。そして、この神の言は、信じるあなたがたのうちに働いているのである。」「実際、わたしたちの主イエスの来臨にあたって、わたしたちの望みと喜びと誇の冠となるべき者は、あなたがたを外にして、だれがあるだろうか。あなたがたこそ、実にわたしたちのほまれであり、喜びである。」 AAJ 278.3

パウロは、テサロニケの信者たちにあてた第一の手紙の中で、死の本当の状態を彼らに教えようとした。死んだ人は眠っているのだ、無意識の状態にいるのだと、彼は述べている。「兄弟たちよ。眠っている人々については、無知でいてもらいたくない。望みを持たない外の人々のように、あなたがたが悲しむことのないためである。わたしたちが信じているように、イエスが死んで復活されたからには、同様に神はイエスにあって眠っている人々をも、イエスと一緒に導き出して下さるであろう。・・・・すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう。」 AAJ 279.1

テサロニケ人たちは、キリストは生きている信仰者を変えて、ご自身のもとに連れていくために来られるという考えを、しっかり持っていた。彼らは友人たちが死んで、主の来られる時に受けようとしている祝福を失うことのないようにと、友人たちの命を注意深く見守っていた。しかし、愛する人々が次 次に彼らから取り去られた。そしてテサロニケ人たちは、亡くなった者たちの顔を、これが見納めと苦しみ嘆きながら見つめ、彼らと将来生きて会えるなどという希望は到底持てない気持ちになっていた。 AAJ 279.2

パウロの手紙が開かれて読まれたとき、死の正しい状態を明らかにした言葉によって、大きなよろこびと慰めが教会に与えられた。パウロは、キリストが来られるとき、イエスにあって眠りについている者たちより先に、生きている者たちが主に会いに行くのではないことを教えた。天使のかしらの声と神のラッパの音は、眠っている者たちにとどき、キリストにあって死んでいる者たちが最初によみがえり、それから生き残っている者たちに不死が与えられるのである。「それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう。だから、あなたがたは、これらの言葉をもって互に慰め合いなさい。」 AAJ 280.1

この保証がテサロニケの若い教会にもたらした希望とよろこびは、われわれには到底、十分にわかるものではない。彼らは福音の父から送られてきた手紙を信じて、大切にした。そしてパウロを愛するようになった。パウロはこれらの事を以前にも彼らに話していたが、その時には、彼らの心は新しい、なじみのない教理を理解することに必死であったので、いくつかの点についてその意味が、彼らの頭にはっきりと印象づけられなかったとしても、驚くにはあたらない。しかし彼らは真理に飢えていた。そして、パウロの書簡は彼らに新しい希望と力を与え、死を通していのちと不死とを明らかに示されたかたに対する、より固い信仰と深い愛情を与えた。 AAJ 280.2

彼らは、信仰をもつ友が墓からよみがえり、神のみ国で永遠に生きることを知ってよろこんだ。死者の休息所を包んでいたやみが、吹き払われた。クリスチャンの信仰は新しい輝きで飾られ、彼らはキリストのいのちと死と復活とに新しい栄光を認めた。 AAJ 281.1

「同様に神はイエスにあって眠っている人々をも、イエスと一緒に導き出して下さる」とパウロは書いた。多くの人がこの聖句を、眠っている人々が天からキリストとともに連れてこられるという意味に解釈しているが、パウロの言う意味は、キリストが死からよみがえられたように、神は眠っている聖徒を墓から呼び出し、キリストと一緒に天に連れて行かれるということであった。これはテサロニケの教会ばかりでなく、どこにいようとも、すべてのクリスチャンに与えられた慰めであり、輝かしい希望である。 AAJ 281.2

テサロニケで働いているあいだに、パウロは時のしるしに関する問題を十分に教えて、人の子が天の雲に乗って現れる前に起こる出来事を示していたので、もうこの問題について書く必要はないと思った。しかし、彼は以前教えたことに、もういちど注意をひいた。「その時期と場合とについては、書きおくる必要はない。あなたがた自身がよく知っているとおり、主の日は盗人が夜くるように来る。人々が平和だ無事だと言っているその矢先に・・・・突如として滅びが彼らをおそって来る」と彼は言った。 AAJ 281.3

今日、この世界には、主の再臨について人々に警告するためにキリストがお与えになったさまざまの証拠に、目をつぶっている者たちが大ぜいいる。時の終わりを示すしるしが急速に成就しており、人の 子が天の雲に乗って来られるその時に向かって、この世界が急速に進んでいるにもかかわらず、彼らはすべての不安をおさえようとしている。キリストの再臨に先立って起こるしるしに無関心でいることは罪であると、パウロは教えている。この怠慢の罪を犯している人々を、彼は夜の者、やみの者と呼んでいる。彼は次の言葉で、油断なく警戒するようにと励ましている。「しかし兄弟たちよ。あなたがたは暗やみの中にいないのだから、その日が、盗人のようにあなたがたを不意に襲うことはないであろう。あなたがたはみな光の子であり、昼の子なのである。わたしたちは、夜の者でもやみの者でもない。だから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして慎んでいよう。」 AAJ 281.4

この事柄に関する使徒の教えは、特にわれわれの時代の教会にとって重要である。この近づきつつある偉大な完成の時に生きている人々にとって、パウロの言葉は力強い筆致で迫ってくる。「しかし、わたしたちは昼の者なのだから、信仰と愛との胸当を身につけ、救の望みのかぶとをかぶって、慎んでいよう。神は、わたしたちを怒りにあわせるように定められたのではなく、わたしたちの主イエス・キリストによって救を得るように定められたのである。キリストがわたしたちのために死なれたのは、さめていても眠っていても、わたしたちが主と共に生きるためである。」 AAJ 282.1

油断のないクリスチャンは、活動しているクリスチャンである。彼は、福音進展のために自分の力でできることは、何でも熱心にやろうとしている。あがない主に対する愛が増し加わるに従って、同胞に対する愛も増し加わる。彼は主が受けられたと同じように厳しい試練に会うが、苦悩のために気むずか しくなることも、心の平和が乱されることもない。彼は、試練によく耐えれば、それが彼を洗練し、清めて、一層深いキリストとの交わりに導くことを知っている。キリストの苦しみにあずかる人々は、キリストの慰めにもあずかる者となり、ついには、キリストの栄光をも分かち与えられるのである。 AAJ 282.2

パウロはテサロニケ人への手紙の中で、更に語った、「兄弟たちよ。わたしたちはお願いする。どうか、あなたがたの間で労し、主にあってあなたがたを指導し、かつ訓戒している人々を重んじ、彼らの働きを思って、特に愛し敬いなさい。互に平和に過ごしなさい。」 AAJ 283.1

テサロニケの信者たちは、狂信的な考えや教理を持ち込んでくる人々に非常に悩まされた。ある者は「怠惰な生活を送り、働かないで、ただいたずらに動きまわって」いた。教会は正しく組織されており、役員は牧師や執事として奉仕するよう任命されていた。しかし中には身勝手で、衝動的で、教会の権威ある地位にいる人々に従うことを拒む者たちがいた。彼らは個人的に判断する権利ばかりでなく、彼らの見解を公に教会に主張する権利を要求した。このためにパウロは、教会の中で権威ある地位に任命されている人々を尊敬し、彼らの意見に聞き従うよう、テサロニケの人々に注意を与えたのである。 AAJ 283.2

テサロニケの信者たちが神を恐れて歩むようにとの切なる願いから、使徒パウロは、日常の生活において神を敬う信仰を実践するようにと、彼らに求めた。「兄弟たちよ。わたしたちは主イエスにあってあなたがたに願いかつ勧める。あなたがたが、どのように歩いて神を喜ばすべきかをわたしたちから学んだように、また、いま歩いているとおりに、ますます歩き続けなさい。わたしたちがどういう教を主 イエスによって与えたか、あなたがたはよく知っている。神のみこころは、あなたがたが清くなることである。すなわち、不品行を慎」むことである。「神がわたしたちを召されたのは、汚れたことをするためではなく、清くなるためである。」 AAJ 283.3

使徒は彼の働きによって改宗した人々の霊的な幸福のために、自分には大きな責任があると思った。彼らに対する願いは、彼らが唯一のまことの神と、神がおつかわしになったイエス・キリストを知る知識を深めることであった。パウロは宣教中にイエスを愛している人々の小さな群れに会い、彼らと共に頭をたれて祈り、神との生きた交わりを保つ方法を彼らに教えていただきたいと、神に求めることがよくあった。彼は、しばしば、福音の真理の光を他の人々に与える最上の方法について、彼らに助言した。また彼が、こうして自分が働きかけた人々から離れているときには、彼らが悪から守られて、熱心で活動的な伝道者になるよう彼らを助けてくださるように、彼はたびたび神に嘆願した。 AAJ 284.1

真の改心を示す最も強力な証拠の一つは、神と人とに対する愛である。あがない主としてイエスを受け入れている人々は、同じ尊い信仰を持っている他の人々に対して、深い、誠実な愛を持っている。テサロニケの信者たちもそうであった。「兄弟愛については、今さら書きおくる必要はない。あなたがたは、互に愛し合うように神に直接教えられており、また、事実マケドニヤ全土にいるすべての兄弟に対して、それを実行しているのだから。しかし、兄弟たちよ。あなたがたに勧める。ますます、そうしてほしい。そして、あなたがたに命じておいたように、つとめて落ち着いた生活をし、自分の仕事に身を いれ、手ずから働きなさい。そうすれば、外部の人々に対して品位を保ち、まただれの世話にもならずに、生活できるであろう。」 AAJ 284.2

「どうか、主が、あなたがた相互の愛とすべての人に対する愛とを、わたしたちがあなたがたを愛する愛と同じように、増し加えて豊かにして下さるように。そして、どうか、わたしたちの主イエスが、そのすべての聖なる者と共にこられる時、神のみまえに、あなたがたの心を強め、清く、責められるところのない者にして下さるように。」 AAJ 285.1

「兄弟たちよ。あなたがたにお勧めする。怠惰な者を戒め、小心な者を励まし、弱い者を助け、すべての人に対して寛容でありなさい。だれも悪をもって悪に報いないように心がけ、お互に、またみんなに対して、いつも善を追い求めなさい。いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。」 AAJ 285.2

使徒は続けて、テサロニケの人々に、預言の賜物を軽んじないようにと教えた。「御霊を消してはいけない。預言を軽んじてはならない。すべてのものを識別して、良いものを守」るようにと言って、真正のものから偽りのものを区別する慎重な識別力を持つように勧めた。「あらゆる種類の悪から遠ざかりなさい」とパウロは彼らに懇願し、「霊と心とからだとを完全に守って、わたしたちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのない者にして下さるように」神が彼らを全くきよめて下さるようにという祈りで手紙を結んだ。そして「あなたがたを召されたかたは真実であられるから、この ことをして下さるであろう」と彼はつけ加えた。 AAJ 285.3

パウロがテサロニケ人に送った第一の手紙の中で、キリストの再臨について述べた教えは、彼の以前の教えと完全に調和していた。それにもかかわらず、彼の言葉はテサロニケのある兄弟たちに誤解された。彼らは、パウロ自身が生きたまま救い主の来臨を目撃したいという希望を表しているものと理解した。このような信念は、彼らの熱狂と興奮を助長させた。以前に自分たちの責任や義務を怠っていた人人は、今、彼らの誤った考えをますます頑固に主張するようになった。 AAJ 286.1

第二の手紙の中で、パウロは、自分の教えについて人々の誤解を訂正して、自分の正しい立場を示そうとした。彼は再び彼らの誠実さに対する確信を表明し、彼らの信仰が固く、また、互いに、主のみわざのために豊かな愛をもっていることに対する感謝をあらわした。パウロは、彼らを迫害や艱雖に勇敢に耐える堅忍不抜の模範として他の教会に紹介したことを告げ、それから、神の民がすべての心配や困難な問題から休息を与えられるキリスト再臨の時へと、彼らの心を向けさせた。 AAJ 286.2

「わたしたち自身は、あなたがたがいま受けているあらゆる迫害と患難とのただ中で示している忍耐と信仰とにつき、神の諸教会に対してあなたがたを誇としている。・・・・悩まされているあなたがたには、わたしたちと共に、休息をもって報いて下さる・・・・それは、主イエスが炎の中で力ある天使たちを率いて天から現れる時に実現する。その時、主は神を認めない者たちや、わたしたちの主イエスの福音に聞き従わない者たちに報復し、そして、彼らは主のみ顔とその力の栄光から退けられて、永遠の滅びに至る 刑罰を受けるであろう・・・・このためにまた、わたしたちは、わたしたちの神があなたがたを召しにかなう者となし、善に対するあらゆる願いと信仰の働きとを力強く満たして下さるようにと、あなたがたのために絶えず祈っている。それは、わたしたちの神と主イエス・キリストとの恵みによって、わたしたちの主イエスの御名があなたがたの間であがめられ、あなたがたも主にあって栄光を受けるためである。」 AAJ 286.3

しかしキリスト再臨の前に、預言に予告されているように、宗教界に重要な進展があるはずであった。使徒はこう断言した。「霊により、あるいは言葉により、あるいはわたしたちから出たという手紙によって、主の日はすでにきたとふれまわる者があっても、すぐさま心を動かされたり、あわてたりしてはいけない。だれがどんな事をしても、それにだまされてはならない。まず背教のことが起り、不法の者、すなわち、滅びの子が現れるにちがいない。彼は、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して立ち上がり、自ら神の宮に座して、自分は神だと宣言する。」 AAJ 287.1

パウロの言葉は誤解されてはならなかった。彼が特別の啓示によってテサロニケ人たちへキリストの再臨がすぐにくることを警告したのだと理解されてはならなかった。そのような見解は信仰の混乱を起こしたであろう。失望は不信仰へとつながるものだからである。そこで、使徒パウロは、そのような使命が彼から来たなどと受け取らないよう兄弟たちに警告し、預言者ダニエルがはっきり書いている法王権が今後起こって、神の民と戦うようになることを強調した。この権力が、目に余る冒涜ぼうとく的なことをするまでは、教会が主の再臨を期待するのはむなしいと、彼は述べている。「わたしがまだあなたがたの 所にいた時、これらの事をくり返して言ったのを思い出さないのか」と、パウロはたずねた。 AAJ 287.2

真の教会を悩ますはずの試練は、恐ろしいものであった。使徒が手紙を書いていた時でさえ、「不法の秘密の力」はすでに働き始めていた。未来に起こる事態の進展は、「サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力と、しるしと、不思議と、また、あらゆる不義の惑わしとを、滅ぶべき者どもに対して行うため」であった。 AAJ 288.1

特に、「真理に対する愛」を受け入れない人々についてのパウロの言葉は厳粛である。真理の使命を故意に拒む人々について彼は言った。「そこで神は、彼らが偽りを信じるように、迷わす力を送り、こうして、真理を信じないで不義を喜んでいたすべての人を、さばくのである。」神が人々にあわれみをもってお与えになった警告を拒む者たちは、とがめられずにはすまない。神は、これらの警告から身をかわし続けている人々からみ霊を引き離し、彼らの好む惑わしを受けるままに放置されるのである。 AAJ 288.2

こうしてパウロは、キリストの再臨の前まで幾世紀もの長い暗黒と迫害の期間を通して継続する、あの悪の権力の破壊的な働きについて大要を説明した。テサロニケの信者たちはすぐさま救い出されることを望んでいたが、今は勇敢に、神をおそれながら、彼らの前にある仕事を始めるようさとされた。使徒は彼らに、義務を怠ったり、あきらめて何もしないで待つようなことにならぬようにと命じた。すぐに救い出されるだろうという期待が燃えた後は、日常の仕事や、彼らが会わねばならない反対は、二倍の厳しさがあるようにみえるであろう。それだから、信仰に固く立つようにと彼らに熱心に説いた。 AAJ 288.3

「堅く立って、わたしたちの言葉や手紙で教えられた言伝えを、しっかりと守り続けなさい。どうか、わたしたちの主イエス・キリストご自身と、わたしたちを愛し、恵みをもって永遠の慰めと確かな望みとを賜わるわたしたちの父なる神とが、あなたがたの心を励まし、あなたがたを強めて、すべての良いわざを行い、正しい言葉を語る者として下さるように。」「主は真実なかたであるから、あなたがたを強め、悪しき者から守って下さるであろう。わたしたちが命じる事を、あなたがたは現に実行しており、また、実行するであろうと、わたしたちは、主にあって確信している。どうか、主があなたがたの心を導いて、神の愛とキリストの忍耐とを持たせて下さるように。」 AAJ 289.1

信徒たちの働きは、神によって彼らにさずけられていた。彼らは、真理を忠実に固守することによって、これまでに受けた光を他の人々に与えなければならなかった。使徒は善行に倦みうみ疲れることのないように彼らに命じ、キリストのためにたゆまず良い働きをしながら、日常の仕事にも勤勉であった使徒自身の模範を彼らに示した。彼は、怠惰で目的のない刺激に憂き身をやつしている人々を叱責しっせきし、「静かに働いて自分で得たパンを食べるように」勧めた。彼はまた、神のしもべたちによって与えられた教訓を無視し続けている者と交わらぬよう、教会に申しつけた。「しかし、彼を敵のように思わないで、兄弟として訓戒しなさい」と彼はつけ加えた。 AAJ 289.2

この書簡もまた、パウロは、労苦と試練の生活の真っただ中にあって、神の平和と主、イエス・キリストの恵みが、彼らの慰めとなり支えとなるように、との祈りで結んだ。 AAJ 289.3